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                                 メルマガ IDN 第82号
                                      Inter Depending Network
                                      2005年 9月 1日発行
              
                                                          
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                                      《第82号のご案内》
 
1.ふれあい充電講演会 
 =第53回( 9月18日):「万福寺での座禅体験会と殿ヶ谷戸庭園散策」の案内
 =第54回(10月20日):「松尾芭蕉記念館と深川下町史跡探訪、清澄庭園の散策と涼亭での懇親会」予告 
 =第52回( 8月19日): 「パナソニックセンター東京見学と暑気払い」の報告
 
2.シニアー情報生活アドバイザー講座
  =第38期・39期受講生募集のご案内
   
3.IT・PC講座  
  =パソコン楽しみ隊:8月度の予定
 
4.「楽しくパソコンライフ」〜武兵衛の近況〜
 =(第12回)外付けディスクの活用
 
5.学生,社会人の進路相談 
 縁を結ぶ志
 
6.千葉アドバイザーの会「C−PAK」
 =ワークショップと月例勉強会の開催 
7.アドバイザー埼玉の会「シニアドさいたま」
 
8.IDN会員募集のご案内 
  =入会を考えている方に(再掲) 
 
9.再開:海外旅行体験話クラブ
 =第3回(9月25日)開催案内
 
10.会員のホームページの紹介
 
11.飯塚 渉さん:連載「大江戸こぼればなし」
 =連載第11回:第二章  (その3)暁の大川端  (その4)女の想い
  
12.井出 昭一さん:新連載「莫妄想」 
 =連載第7回 東博絵巻物語
 
13.ふれあい広場
  
14.編集後記 
  =オーディオ三昧:(その1)アナログ時代の装置が活躍している
 
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1.ふれあい充電講演会 
 
■第53回(9月)「万福寺での坐禅体験の会(第2回)」案内
皆々様のご関心の高まりもあり はやくも20名近い参加申込をいただいています。
心と体を美しくする坐禅 集中力を養い自分自身を省み 自分の本当の生きる力を
ご一緒に見つけようではありませんか 是非ご参加ください。
 
<以下再掲>
今年も 満福寺岩佐是正ご住職のお導きで「坐禅」体験が叶いました。

まず 坐禅の意義そして座り方 服装 姿勢 作法などをお教えいただき 次に坐禅会の作法―堂内の入り方 歩き方 警策の受け方 茶礼など決められている一つ一つの動作を学びます。

「坐禅」とは身を調え 呼吸を調え そして心を調える とのことです。

調身 調息 調心をご一緒に体験してみませんか。

    

【当日の次第】

 一  講話「座禅の作法」 岩佐師

 二  読経「般若心経」  参加者全員

 三  坐禅         全員(希望者には座椅子の用意あり)

 四  昼食         精進料理で 師を囲んで懇親

 

・日時:9月18日(日)10:30〜13:30

・集合:西武国分寺線「恋ヶ窪」改札口 10時(厳守)

・会場:満福寺  国分寺市戸倉4−34−3 042-321-3594

・会費:一般3,500円 IDN会員3,000円

        懇親会(満福寺内客殿での昼食)代が含まれています。

・申込:中川 mgt-na37@cilas.net  03-3869-0315

        定員はありません 締切は9月12日(月)とさせていただきます。

 

【坐禅体験の会の終了後-自由参加】

JR国分寺駅前の「殿ヶ谷戸庭園」(検索ください)へご案内いたします。

武蔵野に自生している野草や昆虫を鑑賞しながらゆっくりと散策し武蔵野の風情をお楽しみ下さい。

また初秋を彩る「ベニムラサイの可憐な花」(萩)も見られることでしょう。

是非ご参加ください。(65歳以上の方は年齢を証明する書類をお忘れなきよう)

 
■第54回(10月20日)予告
:松尾芭蕉記念館と深川下町史跡探訪、清澄庭園の散策と涼亭での懇親会
「江東区歴史と文化を継承する会」のご協賛を得て着々と準備が整ってきました。
午後1時30分集合。午後5時解散予定。全行程で歩行時間は1時間程度です。
安全安心のため参加者全員に日帰り保険の付与をいたします。
 
(1)まず深川神明宮へお参りし 
(2)芭蕉記念館で館長の説明を聞きながら見学 
(3)史跡展望公園
(4)芭蕉稲荷を経て
(5)臨川寺や雄松院など、芭蕉ゆかりの寺院を訪ね、紀伊国屋文左衛門の墓に詣でます
(6)江戸庶民生活を色濃く伝える深川江戸資料館。ここでも館長から縷縷解説をいただきます
(7)最後に清澄庭園を散策しましょう。散策時間は50分ぐらいです
 
(8)自由参加で懇親会
午後5時からは清澄庭園内「涼亭」で黄昏の庭園を愛でながら懇親会をいたします。 
講師に桜井康敞氏(同人誌「濱」編集責任者 江東区歴史と文化を継承する会会員)をお招きし
松尾芭蕉についての秘話をお聞きします。 
懇親会にもぜひご参加ください。 
 
<以下 再掲>
キーワードは江戸深川・松尾芭蕉・清澄庭園の散策と涼亭での懇親会(桜井さんの芭蕉についてのトーク)のです。

ここ小名木北側は、深川発祥の地で慶長元年(1596)深川八郎右衛門等によって深川の開拓の出発がなされた由来ある場所です。

そして、俳聖・芭蕉が暮らしたのもこのあたりです。

江戸開府400年を「3つのお題」で一気に訪ねてみます。

 

江戸深川の発展は、明暦三年(1657)の大火後、材木商が深川の木場に移転してきたのが始まりです。

その後元禄六年(1693)に「新大橋」が、5年後の元禄十一年(1698)に永代橋が架橋され、御府内との往来が非常に便利になりました。

文化・文政の頃は材木商の分限者が名を轟かした時代です。

文化の担い手が、武士から町人に変わった時代でもあつた。

下町深川は、昔も今も「伊勢屋・稲荷・犬の糞」と言うとおり稲荷社の多い町です。

<「大江戸こぼればなし第9回」を参照してください>

江戸・明治そして平成の時代が隣り合わせに同居している町です。

下町深川は、人生の生活を一休みしてみる場所で、ここで新しい生き方を探しやる気を起こし旅立ちます。

一時のやすむ人々の生活は、時代が変わっても今も昔も同じ所下町です。

参加の皆様が、タイムスリップを感じ気持ちと心が休まれば成功です。

ぜひ本日は、郷土を愛する仲間(継承会)がお迎えしご案内します。

一時風流人の気持ちで気楽に楽しんで下さい。

また来たくなり良かったと思ったら、今日一日になれば幸いです。

いざ、新しい発見の旅に出発です。!!

 

■第52回(8月19日): 「パナソニックセンター東京」見学と「暑気払い」の報告
 今年も天気に恵まれ猛暑のさなか、パナソニックセンター東京の見学には20名(内18名の方が暑気払いにも参加)の方に参加いただきました。3時10分ごろから10名ずつの2チームに分かれ案内をお願いしました。各チームにセンターのガイドさんと松下電器さんの営業の方の2名がついて、4Fの一般開放されていないビジネス プレゼンテーション ショウケースから見学を開始しました。
 
 約1時間程度で2Fの一般開放のフロアに降りて解散、一般見学コースと4時15分と45分に予約していた1FのFutureおよび有料の恐竜化石研究のダイナソアファクトリー(1Fと3F)を2チームに分かれて見学しました。恐竜に興味を持った方も多数居られて出発が予定よりもだいぶ遅れてしまいました。

 暑気払いはゆりかもめでお台場駅へ移動し太陽樓お台場店で行いました。19名の方が参加されましたが、暑気払いのみに参加された飯塚 渉さん(メルマガIDNに「大江戸こぼればなし」を連載中)を30分もお待たせしてしまいました。すみませんでした。6時頃から始まった暑気払いにはSOHO世田谷のかたも2名参加され、交流の場にもなったのではと思います。
 
 懇談も終わりに近づいたころ、窓の外を見るとお台場の夜景が大変素晴らしくきれいで別世界のようです。海には納涼の屋形船が沢山(奈良原理事長の情報では53隻)浮かんでいました。7時50分頃解散し家路につきました。

 お忙しい中、また猛暑の中、ご参加いただきましてありがとうございました。また、一般開放されていないビジネス プレゼンテーション ショウケースの予約にあたり黒瀬 豊さんにお骨折りいただきました。ありがとうございます。
【レポート:滝村紘一さん】
 
<以下 開催データ>
1.日時:8月19日(金)14:50〜19:50ごろ 
2..場所:「パナソニックセンター東京」
  ホームページhttp://panasonic.co.jp/center/tokyo/index.html
3.スケジュール:
  14:50集合「パナソニックセンター東京」入口
  15:00〜17:00「パナソニックセンター東京」見学
  途中、林原自然科学博物館ダイナソアファクトリー見学
4.会費:見学と暑気払い両方に参加の方→ 3,000円
      見学のみに参加の方: 400円
      暑気払いのみに参加の方:2,600円 
5.暑気払い:パナソニックセンター東京見学後、任意参加
         太陽樓お台場店で開催
6.参加者:見学(20名) 暑気払い(19名)
 
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2.シニア情報生活アドバイザー講座

■ 「シニア情報生活アドバイザー」養成講座とは
  この講座は、高齢期の生活に密着した、情報技術(パソコンやネットワーク)の楽しい活用方法を教えることが出来る人を養成する講座です。NPO(特定非営利活動法人)「自立化支援ネットワーク」(略称IDN)は、「ニューメディア開発協会」(経済産業省の外郭団体)が認定する「シニア情報生活アドバイザー講座」の養成講座実施団体に指定されています。

■東京:38期のご案内
 下記の講座の受講者を募集中です。毎回土曜日の開催です。
 知り合いのお方でご興味をお持ちの方を紹介してください。
 
第38期:2005年 9月17日(土)〜10月15日(土) すべて土曜日
第39期:2005年10月22日(土)〜11月19日(土) すべて土曜日

・会場:TEPIA(財団法人 機械産業記念事業団)
     港区北青山2丁目8番44号(地下鉄外苑前より徒歩4分)
 
東京での開催の詳細は下記でご覧ください
 

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3.IT・PCの勉強会

 

■パソコン楽しみ隊:8月度の予定

・日 時:9月3日(土)10:00〜12:00
・場 所:TEPIA青山4Fセミナリオ 定員:24名
・テーマ:パソコンの交換と解剖

たまたまIDNで事務用に使用しているパソコンを交換することになりました。

実際の移行作業とあわせてこの機会にパソコン本体を構成している主要部品の様子を見ていただきます。
個人でパソコンを買い換えたときなどに今まで利用していたパソコンから新しいパソコンにデータや

プログラムや設定を移し替えるときや、ハードディスクを増設するときの参考になります。
案内役は当初からIDNの事務システムのお世話をお願いしている小坂武夫(愛称『武兵衛』)さんです。

 

定員に達しつつあります。ご希望の方は下記へご相談ください。
 PCtanoshimitai-owner@yahoogroups.jp

・申込受付:武居 陽子さん

 

【コーディネータ:國重 誠之さん】

 

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4.楽しくパソコンライフ」〜武兵衛の近況〜 第12回外付けディスクの活用
 最近デジカメを楽しみたいというシニアの方が増えてきた。デジカメの画像をパソコンに取り込んだり、編集したり、印刷したいという。
デジカメから画像の取り込みは、ほとんどの方がデジカメ購入時に付いているCDからソフトをインストール。そしてUSB接続で取り込んでいる。購入時のマニュアルに書いてあるので方法としては良い。問題はパソコンの中で、どのように保存したら良いかがマニュアルに書いてない。保存の方法はパソコンをどう使うか、操作の勉強が必要になる。


 私は撮影した写真を「0819東京湾納涼会」と言うように月日を付けたフォルダーを作って保存している。あとで検索するときに日付順になっていると探しやすい。また最近のデジカメは画素数が大きくなり、1枚の写真の容量が大きく、パソコンの中のディスクが画像だけで一杯になる。デジカメの写真を取り込むことに慣れてくると、CDに保存する方法を聞かれる。最近のパソコンにはCDに書き込めるものが多くなった。ディスクを軽くする方法としては望ましい。

 
 これも私は、CDをさけて、外付けディスクに保存している。理由は、外付けディスクの値段が安くなったこと。CDに保存すると枚数が多くなったときに管理が大変になる。外付けディスクは、中身が2.5インチのもので容量は40ギガのものがお勧めです。場所も取らずに携帯することもできる。40ギガあればCD50枚分以上が保存できる。


パソコンの中のディスクには、なるべく負担をかけないことが賢明です。それとパソコンが万一壊れても大切な画像のデータは残ります。

 

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5.学生,社会人の進路相談をいたします

 

縁を結ぶ志

 アドバイザー養成講座の最終日、認定試験を終えて、1ヶ月間の馴れない勉強と試験のストレスを思いっきり発散させる打上げ歓迎会は、9月10日(土)に第36回が行われ、満4年を迎える。

 「武兵衛」のペンネームでメルマガに連載中の小坂武夫さんには、初回からずーと幹事役を務めていただいている。小坂さんは自ら買ってでて、会場探し、案内状の発送と参加者の受付、当日の会計と精算、ユーモアたっぷりの司会進行など、会の運営を殆ど一人で切り回し、文字通り八面六臂の大活躍、これが一度も欠かさず続いている。

 小坂さんはIDNがスタートして間がない頃、集客に苦労している時のアドバイザー養成講座第1号のメール応募受講生で、第2期生である。あの時から早くも4年が経っている。

 

 その小坂さんが−突然話が飛んで恐縮だが−9月3日(土)、TEPIAで行われる「PC楽しみ隊」での講師役−パソコンの交換と解剖−を務めていただくことになっている。参加者は、これまで最高の24名満席だそうだ。小坂さんは苦労人で、現役時代は大手PCメーカーの市場クレーム対策責任者として、名古屋、広島を含め、文字通り東奔西走しておられたと聞く。それだけに経験者としてのハードメンテナンスの腕前は大変なものである。

 

 小坂さんは人にはやさしく、親切で、IDNの理念や行動指針を地で行くような活役をしておられ、大勢の方が大変お世話になっている。いろいろな活動にもよく参加され、IDNで小坂さんを知らない人はいないといってよい。

 IDNも小坂さんが入会した頃から見れば、会員128名、シニア情報生活アドバイザーは165名、重複60名を差し引いても230名規模の会になっている。4年前に、一人でメールで申しこんだ小坂さんが、今では230名の仲間の中心になって活躍しておられるのを見ると、ネット社会の威力をしみじみと感じる。

 

 小坂さんは人が好きであり、奉仕の心を自らの志として持っておられるので、それができたのであろう。どんなにIT社会が発達しても、小坂さんのように人を愛する心と奉仕の志がなければ、人とのご縁はそう簡単には出来るものではあるまい。

【レポート:奈良原理事長】 

 

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6.千葉アドバイザーグループ C−PAK      

■ワークショップの開催
・日時:9/15(木)13:00〜16:00  
     9/29(木)13:00〜16:00 
・場所:千葉県高齢者生協 佐倉センター2F
・講師:橋本さん          
・内容
 1)お好み音楽CDの作成
    iTunes(無料ダウンロード)の利用
    CDからMP3に変換、CD作成  
 2)カセットテープからMP3に変換CD作成
    GoldWave v4.26お試し版(旧版)
 3)カセットテープからMP3に変換
    ♪超録ーパソコン長時間録音機(フリーソフト)     
 
*ワークショップの主催のご案内は9/3日にいたします。
 
■月例勉強会の開催
・開催:第2木曜日 14:00〜16:00
・講師:勉強会出席者 各自1回順番制で担当する。
・日程: 8月11日は各自多忙に付き中止
      9月  8日津田さん、 10月13日飯塚さん
     11月10日村杉さん、 12月  8日北野さん
       1月12日巳城さん、   2月   9日羽澄さん
      3月 9日近藤さん

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7.埼玉アドバイザーの会「シニアドさいたま」
 

今回の報告はありません 

当会の活動の一端を下記ポータルサイトでご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/seniad_saitama
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8.IDN会員募集のご案内

 

■ IDN会員募集中
NPO(特定非営利活動法人)自立化(相互)支援ネットワークでは、正会員と賛助会員を募集しています。
*会員の方々には、会員の活動状況や情報を掲載した機関誌を、年4回発行し配布いたします。
*会員の方々には、各プログラムの割引が適用されます。
*入会金及び年会費については「入会を考えている方に」を参考にして下さい。
*詳しいことをお知りになりたい方は、eメールで、事務局までお問い合わせください。


■入会を考えている方に(再掲)
  会員になるには,自分の意思(Will)がなんといっても大切です。少なくとも何のために入会しようとしているのか,目的を決めて入るのが賢明です。

  入会の手続きとしては,入会申込書と,入会金の支払いが必要になります。会員には,正会員(主体的に活動を行う会員で,総会の議決権を有する会員)と賛助会員(団体の主旨に賛同し,直接、間接時間の許す範囲内で活動する会員)の二つのタイプがあります。どちらの会員になるかは,やはり自分の意思で決めて下さい。

会費には入会金と年会費とがあります。
入会金は正会員が1万円,賛助会員が千円です。
年会費の方は,正会員が年間一口1万円,賛助会員が一口千円です。
年会費を何口にするかも,ご自身の意思で決定して下さい。

 メール送信先:<
mailto:idn@npo-idn.com>
 ホームページ:
http://www.npo-idn.com/

 

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9.海外旅行体験話クラブ

 

■再開第3回開催案内
御無沙汰いたしております。
さて、9月25日(日)に、第3回目の「海外旅行体験話クラブ」が下記により開催されますので、お時間がございましたら、是非御参加お願い
申し上げます。
今回は、御手洗氏の「わたしの海外生活体験談」(仮題)です。
今回も、貴重なお話が聞けそうです!
また、参加者全員による「ひとこと体験話」の時間を設けていますので、こちらもよろしくお願いいたします。
今回の場所は東京駅前です。

「海外旅行体験話クラブ」コーディネータ 伊藤政弘



・日 時:9月25日(日)午後2時半−4時半
・場 所:ザ・ヒルトップ倶楽部(代表:大井直樹 氏)
      住所:中央区八重洲1−8−17新槙ビル4階
      (東京駅八重洲口を出て左前方に見えるビル:みずほ銀行の4F)
      TEL:03-3272-5660
・会 費:一人500円
・テーマ :
◇テーマ1:「オランダ駐在体験と旅の楽しみ(ヨ−ロッパを中心に)」 御手洗 健氏
◇テーマ2:「私のひとこと海外体験話」 参加者全員

 今回の発表は「海外での生活体験談」ということで、旅行での体験話と比較すると、
ひと味もふた味も内容の濃いお話が聞けると思います。お楽しみに!
 「テーマ2」では、参加者全員による海外でのちょっとした体験話を、

ご披露していただこうと思います

(海外旅行をした際のハプニング・失敗談・発見・感動したことなど)。
時間の関係もありますので、お一人5分〜10分程度を考えております。

 肩の凝らない楽しいクラブですので、海外旅行に興味のある方もない方も、ぜひ
一度のぞきに来て下さい。ご参加お待ち申し上げます!

※ パソコンの持ち込み自由。プロジェクター・VTRも準備可能

・出席の申し込み:
 伊藤政弘さん ma-itou@bd5.so-net.ne.jp

 

*これまでの開催状況をIDNのホームページよりご覧いただけます

 

■再開にあたってのコーディネーターのメッセージ(再掲)

「海外旅行体験話クラブ」のコーディネイトをしております、伊藤政弘と申します。
  しばらくの間、お休みをしていたクラブですが、本年3月より再開の運びとなりましたのでお知らせいたします。このクラブは、海外旅行(海外滞在)で経験した貴重なお話を、写真や資料、ビデオなどを加えながら楽しくお喋りしていただくクラブです。肩の凝らない楽しいクラブですので、海外旅行に興味のある方もない方も、ぜひ一度のぞきに来て下さい。ご参加お待ち申し上げます!

 

【海外旅行体験話クラブの趣旨】
◇海外旅行者の目で見た、外国の習慣・文化・地理などを、楽しく発表し学習します。
◇海外旅行をした際のハプニング・失敗談・発見・感動したことなどを共有します。
◇日本と外国の習慣(考え方)・文化の違いなどを比較しながら社会の学習をします。
◇珍しい体験をされた方の実話や動機、その後の人生観などを共有します。
◇楽しかった「観光ツアー」や「オプショナルツアー」などの情報交換を共有します。
◇色々な生き方があることを学習し、自立した人生へのヒントを探ります。

 

【参加申し込みや問い合わせ先など:コーディネータの伊藤政弘さん ma-itou@bd5.so-net.ne.jp

 

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10.会員のホームページの紹介 

今回はお休みです

■ブログもOK 自薦・他薦をお願いします

 メルマガIDN第69号(2月15日発行)よりホームページの紹介を開始しました。今回までに5名の方のページと「シニアドさいたま」のページを紹介しました。遠慮しないでどうぞ手を上げてください。以下に趣旨を再掲いたします。

 会員のホームページを紹介するコーナーを設けます。会員の顔をもっと見えやすくすることが主な目的です。会員相互の交流のきっかけになればと期待します。ご希望のあった方から順次紹介します。簡単な紹介で結構ですから下記あてにご連絡ください。メルマガIDNで紹介したホームページのURLをIDNのホームページに紹介し、リンク集を作ります。

申し込み先:<mailto:merumaga-idn@npo-idn.com>

 

これまでに登場した方のURLと紹介文をIDNのホームページでご覧になれます

http://www.npo-idn.com/

 

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11.連載「大江戸こぼればなし」 飯塚 渉さん(アドバイザー第20期生)

 

■連載第11回:第二章 江戸の情景  (その3)暁の大川端  (その4)女の想い 

第二章−3 暁の大川端

 夜といえば暗いものにきまっているが、どんな片田舎にも電灯が普及した現代、人は夜の本当の暗さを忘れてしまっている。江戸の頃は、暮れ六つ(午後六時)を境に町の姿は一変した。殆どの店は戸を閉め、せいぜい店先に立つ看板代わりの行燈のところが僅かに道を照らすのみで、月の光が一番の明るさであった。闇夜には、気配で辺りを察するしかなく、夜歩きには提灯が必需品だった。とはいえ、提灯の明かりは遠くからはよく目立つが、足元の狭い範囲をぼんやり照らすだけの頼りない照明であり蝋燭代も掛かる。誰もが気楽に夜歩きができたわけではなかった。

 

 燈火というものが大変に貴重で、庶民で蝋燭を用いる家などはまずなかったのである。人差し指ほどの蝋燭の値段が、現代の時価で数千円もしたといわれる。大店でも裏店でも屋内の夜なべ仕事は、油皿に藺草(いぐさ)から抜き出して作った燈芯を浸した明かりを使った。細かな仕事には燈芯を二本用いたが、現代の書物などは全く読めない暗さである。それを贅沢と考える時代だった。居酒屋でさえ油代を考えて、五つ(午後八時頃)には暖簾を下ろし灯を消したそうだ。現代人は、その頃のお天道様の有難さと夜明けの待ち遠しさ、朝の光の眩しさを想像できるだろうか。

 

 「江戸の町の屋根や壁が、夜の暗さから解き放されて、それぞれが自分の形と色を取り戻すころ、市蔵は多田薬師裏にある窖(あなぐら)のような賭場を出て、ゆっくり路を歩き出す。町はまだ眠っていて、何の物音も聞こえず、人影も見えなかった。市蔵は多田薬師の長い塀脇を、川端の方に歩いて行く。路はまだ地表に白い靄のようなあいまいな光を残しているが、夕方と違って、歩いて行く間に足元のあいまいなものが次第に姿を消し、かわりに鋭い光が町を満たして行く。

 

 大川の河岸に出ると、その感じは一層はっきりする。川向こうの諏訪町、駒形町、材木町あたりの家々の壁は、日がのぼりかけている空の色を映して、うっすらと朱に染まっている。川の水は、こちら岸に近いところは、まだ夜の気配を残してか、黒くうねっているが、向こう岸に近いあたりは青く澄んで見える。そして日の光が、背後から市蔵を刺し貫くのは、大川橋を渡り切る頃である。河岸にある竹町の自身番は、まだ表に懸け行灯をともしたままだった。市蔵がその前を通る頃、腰が曲がりかけた町雇いの老人が、行灯の灯を消したり、番所の前を掃いたりしていることもあるが、その日は、中で話し声がするだけだった。

 

 空気は澄んで、冷たかった。市蔵はゆっくり河岸を歩いて行く。澄んだ空気を深々と肺の奥まで吸い込むと、泥が詰まったように重い頭や、鋭くささくれ立った気分が少ずつ薄められて行く気がする。市蔵が、いまのようなやくざな商売でなく、もっとまともな仕事をして暮らすことだって、やろうと思えば出来るのだ、とふっと思うのはこういう朝だった。むろんその考えは、市蔵の胸をほんのしばらくの間、清すがしい気分にするだけのことに過ぎない。じっさいには、市蔵は賭場の壷振りで飯を食っている男であり、賭場の匂いが身体にしみついてしまった人間だった。

 

 そして市蔵は、ふだん壷振りが性に合っていると思い、その仕事に格別の不満を持っていなかった。いまごろ堅気の暮らしに戻れる筈がないことも、承知している。だが僅かな間にしろ、市蔵が、賭場の壷振りらしくないことを考えるのも事実だった。毎朝そうだというわけではなかった。雨が降っている朝などは、疲労と眠気のために、ただ布団に潜りこんで眠ることだけを考えて、わずかな小石に躓いたりして帰るのである。だがその朝はすばらしい朝だった。暁の光の中から、町が眼ざめて活きいきと立ち上がろうとしているのを感じた。 ・・・気分のいい朝だ。これから眠りに帰るのを、気持ちの隅でうしろめたく思いながら、市蔵はそう思った。 (略)」   (  )内ルビ:筆者

( 出典:「暁のひかり 藤沢 周平 著  文春文庫」所収 『暁のひかり』 )

 

第二章−4 女の想い

 母親というものは、寝ても覚めても我が子のことを想い続け、胎児の頃から一人前になる迄に30万回も想うのだという。たとえどんな子であれ、その全てを無条件で受け容れ片時も忘れない。

 深い慈愛を不断に注ぎ続けるが、言動に顕すのはその何万分の一に過ぎず、殆どは目には見えない。一人秘かに様々な想いを巡らせ、絶えず祈り願って胸の奥に畳んでいる。献身的な真情の細やかさと、言葉に出来ない繊細微妙な心の働きは、男が到底及ばぬ女だけの尊い本性である。男との恋においても、内面では絶えずいろいろな想いが複雑に交錯するもののようだ。

 

 江戸時代、女性の生き方は限られ、自由も自立も困難で不安定な立場だった。女の幸せは良き伴侶に出会い、妻として迎えられることであり、愛する夫と相思愛和の家庭を築くことであった。

 女は、好きな男であればあるほど、相手に好かれる女でありたいと努め、男の決定的な言葉をじっと待つ。幸せを求めて湧き上がる強い想いを内に秘め、我侭や自己愛を厳しく慎み相手にひたすら献身的に尽くすのだが、その内面では実にいろいろな想いが浮き沈みしているものである。目に見えない女の心の中を、いきいきと描いた女性作家の作品の一部をご紹介します。

 

 「小野崎源三郎は今、感応寺の境内にいる。別にそう言い置いて出掛けたわけではないが、煙草屋の唐紙を貼ってやる約束を明日にのばして、源三郎の行くところといえば、富突(とみつき)の興行が行われている寺社の境内しかなかった。『ちょいとそこまで探しに行ってきます』と、おしのは土間に降りて源三郎をたずねてきた武士をふりかえった。山川勘吾と名乗った朴訥な感じのする武士は少々心配そうな顔になった。江戸詰めを仰せつかって半年というから、おしのの『ちょいとそこまで』を、国許の『そこまで』と同じだとおもったのかもしれなかった。

 

 故郷の『ちょいとそこまで』は、上野下谷町から京橋、芝あたりまでを言うと、源三郎はよく笑っていたものだ。公用で使いに出たついでに立ち寄ったらしい勘吾は、一刻以上も待たされるようになっては困ると思ったのかもしれない。『すぐそこですよ。谷中の感応寺ってとこ』 『感応寺? 富突か』 『いえ、そうじゃないんですけど・・・あの、ほら、富突がどんなものか見たいって言いなすって・・・』 自分でもわけのわからないことを言っていると思った。おしのは、四半刻ほど前に、この長屋へ来た。出戻りで、実家の『せせらぎ』という料理屋で働いているのだが、源三郎の好物である谷中生姜のはしりが店に入ったので、四、五本引き抜いて持ってきたのだった。

 

 が、源三郎はいなかった。出入り口の腰高障子は開け放されたまま、煙草屋の唐紙に使うらしい紙も文机にのせたままになっていて、よほど急いで出かけたようだった。それでも念のために、長屋の木戸から二軒目にある煙草屋へいって、おしのは、源三郎がきていないかと尋ねてみた。

 『きているものかね』と、煙草屋の女房は、簪(かんざし)の足で髷の根元を掻きながら答えた。『今日は、感応寺の富突だよ。源さんらしくもない、富突の日を間違えて、うちと約束しちまったようだけど、お腹の具合が悪いとか何とか言ってね、明日にのばしてくれと頼みにきたよ』 しょうがないから、いいと答えたと、煙草屋の女房は苦笑した。

 

 『まったく、源さんにも困ったものだねえ。富籤が好きなのはいいけどさ、稼いだお金をみんな富籤につぎ込んじまうんだもの。尋常じゃないよ。 おしのちゃん、源さんの女房になるおつもりなら、きつく言っておやり』 あれは病だから・・・と、あまり弁解になっていない弁解をして、おしのは、源三郎の長屋に戻ってきた。帰りを待つ間に掃除をしておこうと、手桶に水を汲んできたところへ、この山川勘吾という武士があらわれたのだった。『ゆえあって、藩の名は言えぬが』と、武士は、源三郎と同じことを言った。言葉にも、源三郎と同じ訛りがあった。

 

 源三郎が下谷町に住みついてからざっと十五年、どこの藩士であったのか、永の暇(いとま)の理由は何であったのかなど、当人が話したがらぬことを根ほり葉ほり聞こうとした者はいないが、 五、六万石の大名家に仕えていて、二百石近い知行地をもらっていた上士だったらしいとは、皆、何となく知っている。その源三郎を、山川勘吾という武士が、やっと見つけたと言ってたずねてきたのである。江戸詰めになってからの半年間、知らせたいことがあって、源三郎を探しつづけていたという。帰参が叶ったのだと、おしのは思った。親しい友人だったという武士が懸命に源三郎を探しまわるのは、殿様の怒りがとけたからとしか考えられなかった。

 

 それなのに、感応寺の富突を見に行ったと口を滑らせてしまったのだった。江戸の人々を熱狂させている興行を、源三郎が見に行っても不思議はないのだが、勘吾は、感応寺と聞いただけでいやな顔をした。見るからに真面目そうな勘吾にとって、富籤に熱中する江戸の人達は見るに耐えないものだったのかもしれず、源三郎の日常を近所の人達に聞いて、無類の富籤好きであるとわかれば、帰参の話を引っ込めてしまうかもしれなかった。  『あの、言っときますけど、源さんは、ほんとに見に行っただけですからね』 

 

 感応寺まで走って行くつもりで裾をからげ、下駄を手に持ったおしのを、勘吾は戸惑ったような表情で呼びとめた。『おぬし、源三郎のご妻女ではないのか』 『ごさいじょ ?』  『その、女房ではないのか』 何を言いなさるんですよという言葉が唇の外へ出てこぬまま、おしのは、薄いあばたのある勘吾の顔を見つめた。源三郎は今年三十九歳、妻子のいない方がおかしい年齢だったし、また、国許に妻子がいるとも言っていたのである。『ご妻女なんてものじゃない、ただの出戻り女ですよ。放っておくと源さんに蛆がわきそうだから、掃除洗濯を勝手にひきうけていますけど』

 

 身のまわりの世話をしてやるようになって一年近くたつが、いまだに手を握ったことすらない。おしのが酔ったふりをしてしなだれかかっても、源三郎は突き放しもしないかわりに、抱き寄せてもくれなかった。おしのはそれを、国許へ置いてきたという妻への遠慮だと思っていた。源三郎もおしのに好意を持っていることは勘でわかる。その気持ちにも、おしのの胸のうちにも目をつぶってしまうのは、妻への気持ちが強いのだと思っていた。が、勘吾は、今の今までおしのを源三郎の女房だと思っていたらしい。そういえば、挨拶も丁寧だったし、おしのがいれた茶を妙に恐縮しながら飲んでいた。『これがご妻女から源三郎を奪った女』といった表情は、まったく見せなかったのである。

 

 ことによると・・・と、おしのは思った。ことによると、源三郎は妻と別れているのではあるまいか。永の暇となったとき、気を昂ぶらせた妻に罵られ、女はこりごりだと思っていて、おしのが誘っても気づかぬふりをするほど用心深くなっているのではないだろうか。『別れていたのなら・・・』 おしのは嬉しい。 国許に妻子がいると思えばこそ、胸許をつかんで『じれったい人だねえ』と言うのも控えていたし、『掃除洗濯をしてくれる重宝な女だとしか、思っていないんですか』とからむのも我慢していたのである。が、独り身なら、遠慮することはない。

 おしのは、源三郎と出会った時を思い出した。こわれた家具の直しから唐紙の貼替まで、金がなければ丼いっぱいのめしと簡単な惣菜でひきうけてくれる浪人がいると聞き、踏台をかかえてたずねていったのだった。いいよ・・・と、源三郎は言った。彼は、おしのの持っていった踏台をひっくり返して眺めていたが、その間、おしのは源三郎を見つめていた。我に返った時には、胸が痛かった。息をするのを忘れていた・・・いや、していたのだろうが、雷に打たれたように身じろぎもできず、息さえもとめていたような気がしたのである。 

 

 十六歳で嫁いだ商家の若旦那も、決して嫌いではなかったが、そんな不思議な気持ちに襲われたことは一度もなかった。だからこそ、子供が生まれぬからと離縁を言い渡された時、引き剥がせるものなら引き剥がしてみろと、亭主に抱きつく気持ちが起こらなかったのだろう。

 『今晩、源さんに言ってやろ』と、おしのは、貼りかけの傘を見ながら思った。わたしは死ぬほど源さんが好きなんですよ。傘貼りも唐紙の貼替も放ったらかしにして富籤に出かけちまうけど、それが源さんなのだと思えば、腹も立たない。こんなに滅茶苦茶に好きなんだから、ねえ、早くどうにかして下さいな。・・・

 

 気がつくと勘吾が苦笑していた。おしのの胸のうちを読みとったようだった。『そろそろ屋敷へ帰らねばならぬ。感応寺はすぐそこでも、あの人混みの中では源三郎を探すのは大変だろう。富籤のない日に、出直してくる』 勘吾が立ち上がった。あわてて履物を揃えようとして、おしのは、自分が裸足のままでいることを思い出した。『よい人とお見受けした』と、勘吾が言った。『源三郎に伝えてください。浅江殿は、昨年の春に亡くなられたと』 『え?』 『浅江殿、源三郎の別れたご妻女だ。昨年の春に亡くなられた』 おしのは、自分の身内の死を告げられたように息をのんだ。

 

 源三郎を罵ったのかもしれぬなどと、一瞬でも思ったのが申し訳なかった。飽きも飽かれもせぬうちに、永の暇が二人の間を引き裂いたのかもしれず、とすれば、妻は夫に一目会いたいと思いながらあの世へ旅立って行ったにちがいない。源三郎も、その知らせを聞けば、知らぬこととはいえ、富籤にうつつをぬかしていた日々を悔いるだろう。涙がにじんできた。が、これで当分、『早くどうにかして下さいな』とは言えなくなった。おしのは、目頭を小指の先で押さえながら、妻の喪に服す源三郎を想像した。 (略) 」 (  )内ルビ:筆者

(出典:「慶次郎縁側日記 “再会”  北原 亜以子 著  新潮文庫 」所収 『最良の日』 )

*「大江戸こぼればなし」の過去の連載を下記からご覧になれます

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12.連載「莫妄想」 井出 昭一さん
 
■連載第7回 東博絵巻物語
遣唐使展→唐王朝
 現在、東京国立博物館の平成館では、特別展「遣唐使と唐の美術展」(2005/7/20〜9/11)が開かれ、猛暑にもかかわらず見学する人でにぎわっています。
 遣唐使は、古代日本が国の総力を挙げて取り組んだ、いわば「中国派遣国際使節団」で、7〜9世紀にかけて10数回派遣され、最盛期には船4隻を連ねて500人もの一団で渡航したともいわれています。
 井上靖の「天平の甍」でもその状況が著されていますが、航海術が未熟の時代に、往復の途中、台風に遭って船が難破したり、病気や怪我で命を落とすことも多く、無事に日本に帰還できたのは6割だといわれていますので、現在のスペースシャトルと比べてもはるかに危険度の高い過酷な冒険だったといえましょう。

 昨年、西安市で「井 真成」(せい・しんせい)の墓誌(故人への哀悼のことばと生前の経歴を刻んだもの)が発見されました。井真成という人については、わが国の歴史を叙述した書物には記載がないため、いつどこで生れたのか、また誰を指すのか判っていないようです。
 この墓誌には、井 真成が日本から唐に渡って唐王朝につかえ、将来を嘱望されながら36歳の若さで734年に急逝し、かの有名な玄宗皇帝から「尚衣奉御」(しょういほうぎょ)という官職を追贈されたことが記載されています。また、日本という国号が文字によって記載された最古の実物記録だともいわれるだけに、これは大変貴重な資料だといえます。

 周辺の関連資料からみて井真成は、安倍仲麻呂、吉備真備(きびのまきび)、玄ム(げんぼう)らと共に717年(養老元年)唐へ渡ったと推定されているようです。玄宗皇帝に重用され、日本に帰ることなく唐の国で亡くなった安倍仲麻呂の墓誌はいったいどうなっているのか知りたいところです。というのは、井真成よりも遥かに高い地位(唐では秘書監といって国立図書館長に相当するポスト)にあった安倍仲麻呂の墓誌には、相当詳しい記述がなされてるのではないかと思われるからです。

 なお、この特別展では、遣唐使の目に触れたと思われる精巧極まる金銀器をはじめ、彩色豊かな唐三彩などの陶磁器が展示されていて、華やかな唐文化の至宝の数々に触れる事ができます。
 
唐王朝→玄宗皇帝→長恨歌
 遣唐使が行き来した唐の時代(618〜907年)は、長安(現在の西安市)に都を置き、充実した国力を背景に、シルクロードを経由してもたらされる西洋文化をも吸収して文化的に隆盛を極めた時代でもあります。     
 美術工芸以外の分野では、書の顔真卿、李白、杜甫、王維、白楽天(白居易)などの詩人を多数輩出した時代ですが、やはり私は中唐の詩人、白楽天が大好きです。白楽天といえば「長恨歌」(ちょうごんか)です。これは、玄宗皇帝(712〜756年の45年間在位)と楊貴妃のロマンス・恋物語で、西暦805年、白楽天35歳の作といわれています。
 
 「漢皇 色を重んじて 傾国を思う、御宇 多年 求むれども得ず、……」で始まり、最後は有名な句「七月七日 長生殿、夜半人無く 私語の時、天に在りては 願わくは作らん比翼の鳥、地に在りては 願わくは為らん連理の枝、天長地久 時有りて尽きんも、此の恨みは綿綿として尽くる期無し。」で終る七言120句、840字の長編叙事詩です。この詩は、中国でも類まれな甘美な詩、白楽天の中でも最も美しい詩といわれ、中国ではもとより、日本でも清少納言、紫式部以来、古くから愛誦されてきているものです。
 
長恨歌→松花堂昭乗「長恨歌詩巻」→益田鈍翁
 じつは、松花堂昭乗(1584-1639)が揮毫した「長恨歌詩巻」が、本館2階の8室‐A「書画の展開…安土桃山・江戸…」(8/2〜9/11)に展示されています。
 松花堂昭乗(滝本坊昭乗)は、近衛信尹(のぶただ)、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」といわれた能書家で、この書は、慶長19年(1614)、松花堂昭乗が近衛信尋(のぶひろ)公の命を受け畢生の力を揮ったもので、その序文と本詩の冷静沈着な筆致は松花堂を代表する名跡ともいわれています。
 この一巻は、その所有者が、高橋箒庵→岩原謙庵→益田鈍翁を経て現在、東京国立博物館の収蔵品となっていますが、その移動に関しては次のような興味深いドラマが展開されていたのです。大正7年(1818)4月5日、高橋箒庵の蔵品入札会で、のちに東芝の社長になった岩原謙庵(謙三)が、この巻を3129円で落札しました。
 
 じつは、弘法大師の流を汲む松花堂の書跡にかねてよりご執心の益田鈍翁は、この詩巻の入札を実弟の益田紅艶に委託してあったのですが、鈍翁の指値よりわずか10円高い価額で、謙庵の手に落ちてしまったわけです。謙庵にしてみると、この道へ先導していただいた先輩の鈍翁を出し抜いたことで得意満面でした。
 ところが、一ヶ月もしないうちに、謙庵がようやく手に入れたこの書跡を鈍翁に渡さなければならないような“事件”が起きたのです。それは、同年4月29日、品川御殿山の鈍翁邸内の為楽庵で住友総理事 鈴木転庵(馬左也)を正客とする茶会が催され、謙庵も次客として出席したときのことです。

 茶席での話題がたまたま松花堂昭乗の「長恨歌詩巻」に及び、先の入札会での経緯を知らない相客の大口周魚(本名は鯛二、歌人・書家、「本願寺本三十六人家集」の再発見者)が「松花堂の墨蹟中の圧巻」だと激賞したので、謙庵は内心では大得意の反面、鈍翁は苦りきった顔つきで大失意だったようです。
 茶事が終って、道具拝見の際、当日使われた本阿弥空中作の挽臼形水指「銘 園城寺」の蓋を謙庵が誤って落として割ってしまったのです。大きな透かしを開けたこの共蓋は、水指本体との合口が僅かで、置く場所によっては内側に滑り落ちる危険のあるものだったようです。謙庵は先輩の鈍翁に睨まれて顔面蒼白。相客も咄嗟のことで発することばもなく、茶室内に重苦しい冷気が走りました。

 このとき、機転に富んだ紅艶が、「割れてしまったものは仕方が無い。あの長恨歌の一巻を、只とはいわぬ、入札原価そのままで、潔く鈍翁に譲ったらどうでしょうか。」と、謙庵に対しては助け船でしたが、呈のいい巧妙な召し上げ策を提案したのでした。謙庵は恐縮千万の折から、「それですむのなら」と不承々々これに服し、茶席内にようやく安堵の空気が蘇りました。
すると、紅艶は色紙と筆を求め、一気に書き上げたのです。
    空中でテッペンかけたほととぎす
 ほととぎすの鳴き声が聞こえそうな春の宵。空中斎の水指の破損に懸けた諧謔に一同が感心していると、今度は、亭主の鈍翁が筆を取って、脇の句を添えました。
    長き恨みの夢や覚むらむ
 こうして、謙庵がせっかく手に入れた松花堂の一巻は、一ヶ月を待たずして鈍翁の手に移り、鈍翁にしてみれば、永年の夢が晴れて現実のものとなったのです。

 これには、後日談があります。この破損事件後、しばらくして鈍翁から、高橋箒庵に6月6日、御殿山の幽月亭での茶会のお誘いがありました。その席に、件の空中水指が登場したのです。鑑識眼の優れている箒庵が、近寄ってどこから眺めて見ても、過日、謙庵が破損したという痕跡は全く見当たりません。不思議に思った箒庵が、割れた共蓋はどうしたのかと尋ねたところ、席主の鈍翁は「近来の修復技術はすばらしい。破損した痕跡を留めないほど精妙で驚くばかりである」と。
 これを後で聞いた謙庵は、それならあの時あわてて「長恨歌詩巻」を譲る事はなかったと悔やんだが後の祭り。謙庵のこの恨みは以後も綿々と続いたことでしょう。

 ただ、伝来を重んじる茶道具ですから、たとえ一ヶ月弱とはいえ謙庵が所有した事は事実であって、この松花堂の一巻の所有者としての伝来の歴史には、箒庵→謙庵→鈍翁と、謙庵の名前は二人の大数寄者の間に残っていることは確実です。
 
益田鈍翁→応挙館→平家納経→模写・模造と日本美術展
 ところで、この主役の益田鈍翁が寄贈した「応挙館」が東博庭園内にあります。ここは、歌仙絵巻の最古最優の佐竹本三十六歌仙絵巻が切断された会場として、また大寄せ茶会「大師会」の発端となった席として知られていますが、厳島神社が所蔵する装飾経の最高傑作「平家納経」三十三巻の模本作成のための寄付金集めの会場であったことは余り知られていません。
 
 大正9年4月21日の大師会で、模本を作成するため厳島神社から特別に「平家納経」の原本を借り出し、64万円の寄付を募りました。僅か半日で満額が集まったということですから、当時の経済界における鈍翁の威力がいかに絶大だったかが想像できます。この資金を元に田中親美が数年かけて精巧きわまる模写を完成し、大正14年(1925)11月には東博表慶館において、原本と共に展示されました。
 その模写された「平家納経」は、現在東博の平成館で開催中の「模写・模造と日本美術…うつす・まなぶ・つたえる…」(2005/7/20〜9/11)に展示され、その華麗な装飾経の片鱗を見る事ができます。さらに、その横には、料紙を使った最も華麗な冊子「本願寺本三十六人家集」の模本も並んでいます。

 こうして見てきますと、東京国立博物館の美術品に関係する所蔵者、数寄者間に次々に展開された東博絵巻物語こそ“綿々として尽くるとき無し”ということでしょうか。
 東博とは、湧き出でる泉のごとく楽しみが尽きないところなのです。
 
ホームページでは、「莫妄想」の過去の連載をご覧になれます。
メルマガでは紹介しなかった写真や表も追加されています。

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13.ふれあい広場
 
■IDNアウトドアクラブ「たかお会」/メーリングリストへのお誘い(再掲)
  IDNアウトドアクラブは自然に親しむことを通じて会員の健康維持や相互の親睦をはかることを目的として発足しIDN-ADF2003で産声をあげたばかりです。活動内容はみなさまのご意見をもとに広げていく計画です。連絡や情報交換のためにメーリングリストを開設しましたのでアウトドアに関心のある方、お気軽にご連絡ください。「お名前」、「メールアドレス」をお知らせください。メーリングリストに登録します。
なお、たかお会に加入したい方、また、活動計画にご意見ご要望がありましたら下記まで連絡ください。
連絡先:  
idn-outdoor@yahoogroups.jp

幹事:東川・國重
 
たかお会の活動状況をIDNのホームページでご覧になれます

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■「ふれあい広場」について
皆様の近況・IDNに対する意見・催しもの案内・等など内容に制約はありません。
思わぬ出会いがあるかもしれません。
下記のメールアドレスへ自由に投稿して下さい。お待ちしています。
<
mailto:merumaga-idn@npo-idn.com>

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14.編集後記

 
■オーディオ三昧:(その1)アナログ時代の装置が活躍している
 何時の頃からか、コンサートに行くことやレコード(後にCD)を買うことに変わったが、ずっと若い頃はオーディオに興味を持ち、道具にも凝っていた時期があった。オーディオについては天井知らずの世界であり、あくまでも身の程にあったレベルのお話である。
 1966年頃にスピーカー(今も使っている)を買ったいきさつと、引越しでスピーカーの本体の一個を壊し、イギリスへ出張したときに、「ロンドンの秋葉原」へGOODMANを買いに言った話は、以前にメルマガIDNに連載した「龍のコンサート三昧(第5回)」に書かせてもらった。(URLを最後に)

 現在リビングに陣取っているオーディオ機器はいずれも骨董品の部類であり、いずれも高級品ではない。メインアンプは、ラックスのキッドA3500。知人のOさんが組み立てたもので、パソコンの自作に興味が移ったと言って譲ってくれた。夏場に聴いていると、真空管の熱が心配になる。
 長期間なじんだ山水のプリメインアンプ AU−111(1966年購入)は天袋の奥にあり、メインアンプ部はまだ健在のはずである。山水は経営的に苦しくなったが、千葉の担当の方は親切で、長期間アンプのメンテナンスをやってくれた。しかし、プリアンプ部の異常について相談にいったら、もう勘弁してくださいといわれ、AU−111はプリメインアンプとしてはリタイヤーすることになった。
 この時期にOさんが譲ってくれたラックスA3500が我が家で定位置を占めている。山水のほうが馬力はあるが、ラックスのほうが音のヌケがいい。つい最近、山水のAU−111は復刻されて発売になったが、値段を見てびっくりした。

 CDプレーヤーはヤマハのCD−2000W(1985年購入)。このプレーヤーの音は透明感があって良いが、メカにやや神経質なところがあり、CDの条件によるのかプレーヤーの気分なのか再生時にトラブルがおきるときがある。
 テープレコーダーはティアックのV−1RX(1982年購入)。ドルビーB・C・dbx の3つの回路を装備している。何回か修理の手が入っているが健在であり、大衆品としては優れものである。
 チューナーは山水のTU−777(1968年購入)が時々鳴っているが、これはアンテナのせいか十分に機能しているとはいえない。

プレーヤー部について
 アームはSTAXのUA−3とグレースのG−545Fがあり、カートリッジはフィデリチィ・リサーチのFR−1(MK−2)とシュアーのV15TYPE3が最後まで生き残った。
 モーターは、マグネフロートMF−102SB(1966年購入)。ターンテーブルがマグネットで浮かせてあり、重いターンテーブル(2.2Kg)の慣性を保ちながら、マグネットで浮かすことにより軸受けへの荷重の負担を軽減させている。当時では画期的なアイディアを盛り込んだ製品である。発売もとの東京電子機器はテアックに吸収されて、マグネフロート方式を踏襲しながら新しい製品が販売されていた。
 プレーヤーのケースは、会社で関係のあった木工会社の知り合いに図面を渡して作ってもらった。モーターを載せるボードとアーム用のボードを切り離すなどのノイズ対策への配慮をした。
 秋葉原のテレオンへ行けば、新しいベルト(モーターとターンテーブルを結ぶもの:幅6m/mでエンドレス)を買うことが出来たが、そのうちに販売中止となった。仕方なく「糸」で代替することを試みた。キャプスタン(モーターの軸でベルトを受けるところ)が円筒でなく幅6m/mの中央部の直径が大きく、糸の位置を定めるのに苦労した。また、糸の結び目がキャプスタンを通過するときのノイズを消すことは出来なかった。

 当時はよく秋葉原に通ったし、部品ごとにメーカーの研究所や視聴室を訪れ説明を聞き視聴させてもらった。何回も通っているうちに、日本楽器銀座店の視聴室に置いてあったスピーカーを譲ってもらうという僥倖にも恵まれた。

 プレーヤーのベルトを買うことが出来なくなってから、音源はすっかりCDに変わってしまった。現在は、CD・テープ・FMチューナーをダイレクトにメインアンプにつないでいる。やはりOさんより譲ってもらったプリアンプC−12をそっくりキッド化したA2021を電源を入れないでスイッチングに使用している。
 道具を求めた時期も今では懐かしいが、道具の追求には終わりがなく資金もままならない。ある時期からソフトに転向。レコードを買うこと(そのうちCDに変わった)と、コンサートに行くことにした。そして、それからの時間のほうがずっと長くなった。

最近のお話
 2003年5月に行った雫石にあるペンション「フィールドノート」の主人は、深夜に大きい音を出したいためにペンション村の外れの土地を買った。建物の土台も特別仕様にし、自慢のアナログのオーディオ装置が特殊な土台の上に置いてある。私が道具に興味を持っていた時代のものであり、昔を懐かしんで夜おそくまで持参したレコードを聞かせてもらった。

 今の秋葉原はすっかり変わってしまった。アドバイザー講座を秋葉原で行っている頃、講座の帰りにオーディオの専門館があるのを見つけた。アナログ専門のフロアーがあり、担当の人と話をしていたら、浦島太郎の心境になった。私の頃の道具は、アナログで録音された音源を再生するための道具であり、現在のデジタルで録音し、デジタル処理をした音源を再生するには適していない、と諭された。しかし、私がよく聞く曲は、アナログ時代のものも多いので「まあいいか」と慰めている。
 
次回は、「究極のアナログプレーヤーを開発した 寺垣 武さんに13年ぶりにお会いした」ことについて。
 
・ロンドンの秋葉原へ行った話:龍のコンサート三昧(第5回)
・ペンション「フィールドノート」:編集後記集(メルマガ第36号・03/10/01)
http://www15.ocn.ne.jp/~ryuss/ にあります。興味のある方はどうぞ。
 
【生部】

 

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