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                                 メルマガ IDN 【第64号】
                                      Inter Depending Network
                                      2004年12月 1日発行
              
                                                          
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                                      《第64号のご案内》

1.ふれあい充電講演会 
   =第44回(12月20日)講演オムニバスの会の案内
     
2.シニアー情報生活アドバイザー講座
  =第31・32期のご案内
 
3.学生,社会人の進路相談 
  =中本英雄さん(アドバイザー第28期生):創業には6つの「ん」を (そのU)


4.下関支部レポート
  =中原郁生遺稿「平家物語探訪」 第11話「平家女人苦難のこと」

5.楽しくITライフ
  =お休み
    
6.IT・PC講座  
  =パソコン楽しみ隊「パソコン紙工作教室」の案内
 
7.IDN会員募集のご案内 
  =入会を考えている方に(再掲) 

8.ふれあい広場
 =佐藤 昌子さん(アドバイザー第11期生):アテネの風はやさしかった」
 =IDNアウトドアクラブ「たかお会」/メーリングリストへのお誘い(再掲)

9.編集後記 
 =ピレネー、花とロマネスク教会(その11) 聖都モンセラットでカザルスの銅像に出会う
 
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1.ふれあい充電講演会
 
■第44回(12月20日)講演オムニバスの会の案内
今年最後の講演会は、年末恒例のお三方によるオムニバスです。併せて、ささやかな忘年会を催しますので お気軽にご参加下さい。
 
◆講師と講演内容
  ・黒瀬 豊さん  :「世界の空を飛んだYS11」
                  YS11開発にまつわる想い出話を聞かせていただきます
  ・松本喜一さん :「洋ものに駆逐されつつある可愛い草花たち」
                  花博士が、タンポポ・鈴蘭などに付いて解説し、約30種の草花を映像で紹介して下さいます。
                     松本さんのHP http://www.dsk-tnet.co.jp/kaki/2004/index.html
  ・谷口ひろみさん:「(仮題)短歌のお話」
                  埼玉新聞短歌部門正賞を受賞された歌人の谷口さんが
                       デジカメの風景を見ながら、短歌をご披露解説してくださいます。
 
◆日時:12月20日(月)PM6:00〜7:20(終了後自由参加の忘年会)       
◆場所:東京都仕事センター(旧シニアワーク東京)5F第1セミナー室                 
       千代田区飯田橋3−10−3 03−5211−2307
           (JR飯田橋駅・東口、地下鉄飯田橋駅A2から5、6分、ホテルエドモント隣)
◆会費:会員1000円、ビジター1500円
◆忘年会:2500円 女性2000円(会場は、水道橋駅近くの「さくら水産」を予定)
 
◆申込み:金田 03−3392−1043  afu@k2.dion.ne.jp        
            :中川  03−3869−0315  mgt-naka@cilas.net

会場の都合で定員50名です。 〆切は12月12日とさせて頂きます。
                    
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2.シニア情報生活アドバイザー講座

■ 「シニア情報生活アドバイザー」養成講座とは
  この講座は、高齢期の生活に密着した、情報技術(パソコンやネットワーク)の楽しい活用方法を教えることが出来る人を養成する講座です。NPO(特定非営利活動法人)「自立化支援ネットワーク」(略称IDN)は、「ニューメディア開発協会」(経済産業省の外郭団体)が認定する「シニア情報生活アドバイザー講座」の養成講座実施団体に指定されています。

■ シニア情報生活アドバイザー養成講座の開催のご案内
2005年に入り、下記の2つの講座を計画しています。
毎回土曜日の開催で、会場はいずれも東京会場です。ご参加をお待ちします。
   ・第31期:2005年 1月15日(土)〜2005年 2月12日(土)
   ・第32期:2005年 2月26日(土)〜2005年 3月26日(土)
 
詳細は下記でご覧ください
URL:http://www.npo-idn.com/senior2.htm 
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3.学生,社会人の進路相談をいたします

  この欄に、いろいろな方に登場していただいて、厳しい体験をできるだけ本音で語って頂いていますが、今回から数回にわたって地方の金融機関で零細企業を長年見てこられた中本英雄さん(アドバイザー第28期生)に零細企業の(一人ビジネスを含め)強さと弱さなど、「経済的自立」をはかる上で、難しさやそれを克服するノーハウなどを、語っていただくようお願しました。お読みいただいた皆様の感想や質問などをどうぞご遠慮なく投稿して下さい。【奈良原眞吉】

 

■中本英雄さん(アドバイザー第28期生):創業には6つの「ん」を (そのU)
 如何でしたか。幾らなんでも『オール完備、しかもすべての「ん」充実度100%、ピカピカのオーラが出ているよ』と言える人はいないはず。しかし「保有の程度に凸凹はあるが揃っている」と思われたら、先ず企業経営に限っては合格点、将来(己を見失わなければ)成功者の仲間入りでしょう。それとも全部はムリかな? 欠けてるヤツが2つ3つあるな〜と思われたら、先ずは以下の説明を読んでからもう一度見直してください。結構自分の良さを発見できるかも。


 前の63号で一部触れておりますが、もう少し補っておきます。
 運はいわゆる[ツキ]です。晴れ男(女)でイベントに参加する時は皆から歓迎されるとか、小さくても籤や福引きが良く当たるよと言うのも一つの要件ですが、今までの人生で自分のやってきた努力が、一生懸命やった結果としてマアマア報われて、平均して上を行っているのではないか、運が良かったな〜と思ったらツキを取り込んでいるのですから、これからも絶対良運が続くと信ずることです。長い期間で疑わずに行動することです。
 大体運のある人は総じて行動に余裕があるので外見が明るくて、怒りの表情がなく、いつも笑い顔(福相)です。経営者として一番大事にしたい要素です。一時的にツキが落ちるようなことがあっても貧相面にならぬように気をつけたいものです。


 鈍はイメージとしては[巧遅・重厚]です。[敏腕・即断]の対語で理解してください。少々の予想外の事件や、不利な状態が発生しても、小事はやり過ごし、大事の時は事の本質を見抜くまで軽挙せず、大局の赴く方向、長期戦略に照らして方策がまとまってから動く度胸と図太さを言います。これとは逆に即断即決で問題を処理する、そして途中の誤りは即決を重ねながら軌道修正を図り最終的に誤りなきを期する。一見カッコいいのですが、凡人には目先の利にとらわれてしまいがちで大成には結びつき難いようです。


 根はなんといっても「ネ」をあげない、しぶとく続ける根性でしょう。場合によっては世評に背を向け、面子もプライドも捨てても途中で止めないことです。「成功」は成功するまで続けるから「成功」と言うのであって、途中で止めれば成功には届かないので「失敗」と言います。あっさりタイプは目先が利いて転進が鮮やかのようですが、最終的に企業経営には不向きなタイプでしょう。ただ商売には見切り=[商機]と言うことがあります。いかに上手に手を引くか、タイミングを間違うと大損をしてもの哂いになりますが、商機を活かすのと継続する戦略眼とは違います。混同してはいけません。


 勘は予知能力を言います。進退、方向転換の時機や可否判断に迷ったときの最終決定が有利な方に展開するケースです。「やっぱり俺の勘は冴えてるワイ」と密かにほくそ笑むのですが、勘は収拾した膨大な情報の要・不要、適・不適を取捨選択しながら判断する仕掛けがないと働きません。情報と言う裏づけを日ごろから充実させて置く科学的手法を勘と言いますので、運とは似て非なるものですが、アンテナを磨いておれば運良く勘は当たるものですから関連性は大いにあります。


 算(散)は計算です。遠くを見据えた計算と、近くの利をとる計算の両方のバランスがキチンと採れていなければなりません。つまり算用―金の集め方です。散はその金をどう使うか一言で言えば[運用]です。事業資金は出て、入って又出る繰返しですから、使い方に戦略性がなければ死に金になります。経営者にとって算盤(パソコン)や経理や税法も大事でしょうが『算用』が出来ないのは致命傷です。幾ら上手に儲けても散(運用)の仕方に先見性と徳がなければ還流はいずれ途絶(資金枯渇=倒産)します。私はこのお金の算用と運用における先見性と徳を経営センスと言っています。このセンスのない人は経営者の資格はないと思っています。正しい社業の運営により入った資金が社業発展の目的に充てられなければなりません。それにしても「散」の典型としての将来を見越した投資=設備、研修、社会事業、教育事業、環境整備、福祉事業等が数年〜10年先に活きて帰ってくると言うのは経営者冥利に尽きますね。


 健は脳と体の健康です。この健康維持には最大の努力を注ぐべきです。しかし限界は前触れもなく突然にやってくることを常に覚悟しておかねばなりません。
  脳について自分が衰えたとか、能力が落ちたなと気付いたらさっさと退くべきなのですが、周囲がなかなかその現象を指摘してくれませんから、本人としては「脳天気」になって、始末の悪いことに居座りと言う判断力の低下現象をいつまでも露呈します。
 つまり経営者を長くやりますと、彼も人の子ですから脳の健康が失われまして、脳の病に取り付かれ進行した結果、驕りの症状が出てきます。時として傲慢になり段々人の意見に耳を傾けなくなります。こうなりますと相手がトップですから押して忠告まではしません。そこでこうなる前に、判断力が正常なうちに自らの引き時を決めておき、内外に明示し規定化しておくことが必要ということです。おおよその目安はどんなに現状の健康に自信があっても70歳でしょう。過ぎても2,3年、その間に後継者を決められなければ無責任の謗りを免れません。
 体の健康は言わずもがな。年齢的にも70歳を限度とし、健康に支障があればこれも辞任の時期を探るべきでしょう。そのためには後継者の育成は早過ぎることはありません。能力の落ちたトップの存在は百害あって一利なしです。

 

  創業するときには以上の6つの「ん」を知って創業後に備えることが成否を左右します。もうお気づきでしょうが,この6つは夫々独立したものではなく相互に関連して機能するものですから、個々の程度の高低はあまり気にすることはありません。それよりも6つの目を何時も意識をして経営に当たって下さい。
  さてそこで創業そのものが初演なのか、第二幕一場の舞台に入るのか、出直し再演の準備なのか、幕間の緊張感の只中で神経を集中しているところなのか、いずれにしてもそれなりに稽古を積んで幕をどう引くかに話を移します。もともと学生、社会人を問わない「経済的自立」をはかる上での進路相談のページですから、シニア情報生活のアドバイザーに限定せず、自立のための新規創業の相談に乗って(今の私の主業務)居る積りでこの小文をまとめるように進めて終わりにしたいと思います。(続く)
 

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4.下関支部レポート
 

  中原郁生遺稿「平家物語探訪」 第11話「平家女人苦難のこと」

  寿永4年(1185)3月24日、源平興亡の命運を賭けた壇ノ浦合戦で平家はついに滅亡する。作家南條範夫は、この海戦は平家にとって、最初から決定的に不利な点があったと主張している。そのひとつは徳富蘇峰の評論に「重盛についで相続者となった宗盛は、平家の総統として最も不適当だった」ことを指摘、平宗盛が凡庸怯懦(ぼんようきょうだ)の人物だったと説き明かす。さらにもうひとつ「平氏が女院(安徳天皇の生母・建礼門院)や禅尼(清盛の妻・二位の尼)以下、多くの女人を船中に擁していたことも、その行動に支障を与えた−そもそも大合戦の場にこのように女人群をひきつれ臨んだことは、わが国の歴史上には他に例がないだろう」と評している。

 壇ノ浦決戦における平家の敗因ついては従来、義経の戦略勝ちや、海峡の潮流のこと、水軍の裏切り等、種々取沙汰されてきたが、冷静に考えれば南條範夫の指摘するようにひきつれていた女人が大きなブレーキになったことは否めないだろう。ところで、平家の女人たちは幾人いたのであろうか。正確な数はわからないが、壇ノ浦合戦で生け捕りとなった女人たちは、「巻第十一」に「女房では女院、北の政所、廊のお方、大納言佐殿、帥のすけ殿、治部卿の局以下四十三人」と書かれている。(写真:壇ノ浦合戦・安徳帝入水の絵図)
 
                                             
 「平家物語」を読みつつ以外に感じたことのひとつに、全体を通してみて、他のそれぞれの物語にくらべ、船上生活の苦難のことが書き尽くされていないという思いである。都落ちして以来、1年9ヶ月を要しているが、それらしい記述は二、三カ所に過ぎない。しかも美文調ゆえに現実味にとぼしい。そんな感慨にふけっていたころ、岩波新書の石母田正著「平家物語」を読んで驚いた。私とまったく同じ意見が述べられていたのである。
 以下引用「平家を読んでゆくうちになんとなく印象にのこるのは、平家物語はこれほどの長編でありながら、生活というものについての感覚が実に鈍いことが注目されるからである。たとえば都落ちして海上に浮かんだ平家の公達は、明け暮れ都を偲んで涙を流しているばかりで、彼らが海上でなめたであろう辛酸が物語になんら出てこないことは、おどろくべきほどである。潅頂の巻における女院の言葉にさえ、つぎのように、海上生活の悲惨が語られているのだから、なおさらである。」『波の上にて日を暮し、船のうちにて夜を明かし、貢ぎ物もなかりしかば、供御も具ふる人もなし。たまたま供御は備えんとすれども水なければ参らず。大海に浮かぶといへども、潮なれば呑むこともなし。これ餓鬼道の苦とこそおぼえ候ひしか』(潅頂の巻・六道)

 この「餓鬼道の苦」が、せめて女院の述べた程度にでも、物語の本文に描かれていたならば「平家物語」の叙述がどれほど生彩を帯びたかわからないのである。
 
リライト:武部忠夫さん/写真:青木紀雄さん】

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5.楽しく ITライフ 

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6.IT・PCの勉強会

 

■パソコン楽しみ隊「パソコン紙工作教室」の案内

皆さまへ
  11月15日メルマガ第63号に、下記ご案内をさせて頂きましたが賛同頂ける方が少なく、再度のご案内です。
12月5日勉強会に参加頂けない方は、メンバー登録だけでも結構です。アドバイザーの情報交換の場として、Yahooグループを利用したMLの作成を計画しております。メンバー登録料などは必要ありません。
皆さまからのメールをお待ちしております。

  Aquaグループは4月よりこれまで、「講座」と言う形でパソコンをとおして皆さまとご一緒させて頂きましたが、ここに来て「講座」形式を離れ、「パソコン楽しみ隊」として、メンバーを募ることとしました。男女を問わず、パソコンに興味があり楽しいパソコン生活を送りたいと思っていらっしゃる方であれば、どなたでもメンバーになれます。「全員参加型の学習の場」を目指し、活動内容はみんなで考えて行きましょう。

  手始めに、12月5日(日)「パソコン紙工作教室」を開きます。内容は、パソコンを活用したお正月用品の作成で、主にペイントを使って作成して頂きます。環境の関係でカラー印刷が出来ませんので、2作品程度を作って頂き残りの時間は、今後の活動についての話し合いの場にしたいと考えています。賛同頂ける方は、12月5日(日)品川人材開発センターPC室にお集まり下さい。

・日にち:12月5日(日)
・時 間:13時〜16時30分
・参加費:材料費として500円
        ペイント・ワードを使ったお正月用品の作り方テキスト
        印刷用紙(はがきサイズ、和紙タイプ)を準備
        作品内容:はし袋、年賀状、落款

皆さまのご参加をお待ちしております。

・連絡先:三好みどり
 
otemo@jcom.home.ne.jp

  
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7.IDN会員募集のご案内

■IDNの生立ちと近況   

今回はお休み


■ IDN会員募集中
NPO(特定非営利活動法人)自立化(相互)支援ネットワークでは、正会員と賛助会員を募集しています。
*会員の方々には、会員の活動状況や情報を掲載した機関誌を、年4回発行し配布いたします。
*会員の方々には、各プログラムの割引が適用されます。
*入会金及び年会費については「入会を考えている方に」を参考にして下さい。
*詳しいことをお知りになりたい方は、eメールで、事務局までお問い合わせください。


■入会を考えている方に(再掲)
  会員になるには,自分の意思(Will)がなんといっても大切です。少なくとも何のために入会しようとしているのか,目的を決めて入るのが賢明です。

  入会の手続きとしては,入会申込書と,入会金の支払いが必要になります。会員には,正会員(主体的に活動を行う会員で,総会の議決権を有する会員)と賛助会員(団体の主旨に賛同し,直接、間接時間の許す範囲内で活動する会員)の二つのタイプがあります。どちらの会員になるかは,やはり自分の意思で決めて下さい。

会費には入会金と年会費とがあります。
入会金は正会員が1万円,賛助会員が千円です。
年会費の方は,正会員が年間一口1万円,賛助会員が一口千円です。
年会費を何口にするかも,ご自身の意思で決定して下さい。

 メール送信先:<
mailto:idn@npo-idn.com>
 ホームページ:
http://www.npo-idn.com/


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8.ふれあい広場
 
■佐藤 昌子さん(アドバイザー第11期生):アテネの風はやさしかった」
  「佐藤さん、アテネパラリンピックの応援に一緒に行ってくれない」と視覚障害者ランナーのOさんから電話が入りました。アテネオリンピック開催中で、連日日本人選手の活躍がテレビで放映されていた頃でした。一週間のアテネ行きを依頼されましたが、私は店の仕事の他に英会話教室・パソコン教室をレギュラーで持っていましたので、とても時間が取れそうもなかったので、「残念だけど、どなたか他の方にお願いしてみて下さい。」と断ってしまいました。Oさんと私は「NPO法人・日本盲人マラソン協会」のメンバーでランナーと伴奏者として日本各地の大会やホノルルマラソンを走っている仲間なのです。

  断ってしまったことで、この話は終わったと思っていたのですが、アテネが私の頭から離れないのです。アテネが私を呼んでいるような気がして心が騒ぐのです。今年の6月にオリンピックのトーチランナーに選ばれ、聖火を持って走った生涯最高の思い出は、アテネ行きの前奏曲だったのだと思うようになってしまいました。次の日に私は英会話教室とパソコン教室の変更を生徒さんたちにお願いしてみると、皆さんが「アテネに行ってきてください。」と快諾してくれました。
 
  日本盲人マラソン協会所属の4人の視覚障害ランナーが、アテネパラリンピックのマラソンに選ばれ、彼らを応援するためのツアーが計画されましたが、4名のランナーの出身地が異なるため各地で応援ツアーが組まれて、協会主催のツアーの参加者は私を含めてたった6名しか集まらず、ツアー実施が危うくなってしまいました。旅行会社の担当者が友人でもあったので、添乗員なしで私がアテネまで引率責任者となることでツアーが実施されることになりました。
  参加者は、Oさん、Wさん夫妻、九州から参加のFさん夫妻と私の6人で、成田からエアフランスでパリまで飛び、ここからアテネ行きに乗り換えるのですが、空港が広くて目的のゲートが見つからず何回も道を尋ねることになってしまいました。ようやくアテネ行きの飛行機に乗り込み目的地にたどり着きました。アテネ空港には現地の日本人ガイドが待っていてくれて、無事にホテルにたどり着くことが出来ました。

  次の日は16人乗りの小型バスでアテネ市内見学でアクロポリスに行ったとき、一般の観光者は丘の下から入り口まで上って行くのですが、私たちのバスは入り口のそばまで入ることが出来ました。神殿見学の時も係りの方が来てくれて、視覚障害者の人は神殿の柱に触っても良いということで、私が説明しながら一緒にべたべたと神殿の大理石の柱に触ってきました。豪華なギリシャ料理の後、マラソンコース見学に行きました。明日がマラソン開催日なので交通規制がされていて、一般の車は進入禁止なのに私たちのバスは警察の許可がおり、スタート地点まで入ることが出来、マラソン塚やスタート地点を見学することが出来ました。私たちのバス以外は誰もいないマラソンコースを走ることが出来ました。バスの運転手さんと熱心なガイドさんの努力とアテネ警察の好意に感激しました。

  マラソン当日は、早起きをしてバスに乗りスタート地点を目指しましたが、昨日よりもっと規制が厳しく関係車両しかコースに入れないのですが、私たちのバスはスタート地点から5キロのところまで入ることが出来ました。コース脇のスーパーの駐車場にバスを置いて、警備の警察官と数名の地元の住人と一緒に、車椅子マラソンと視覚障害者マラソンの応援をすることが出来ました。選手を見送ってから今度はゴール地点に戻らなければなりません。マラソンコースは大渋滞ですので、運転手さんは山越えをして裏道を探してくれ、ゴールの古代オリンピック競技場の近くまで戻りましたが、競技場の周辺も交通規制がされていて入ることが出来ないのですが、私たちのバスはまたも警察の許可が下り、競技場の入り口まで入ることが出来ました。

  この日、私はオリンピックトーチランナーのユニフォームを着てゆきましたので、現地のスタッフに「トーチランナーね」と声をかけられ嬉しくなりました。競技場には日本から応援に来た沢山の人たちと共に選手の応援をしました。私たちの期待に応えて高橋勇市選手がトップでゴールし、他の選手も4位5位11位になりました。ゴールドメダリスト誕生の瞬間を見ることができてアテネまで来た甲斐がありました。
  表彰式はドーピング検査後の次の日で、この日は自由行動日ですので地下鉄でオリンピック競技所へ行き、表彰式に立ち会いました。日の丸の国旗の下で「君が代」を大声で歌ってきました。

  パラリンピックの閉会式は、パラリンピック見学のためにアテネに向かった子供達の乗ったバスが、トラックと事故を起こし多くの子どもたちが亡くなってしまったため、中止の連絡が入りましたが、簡素化した閉会式にすることで開催されることになりました。外国人は他国で情報を得るのがとても大変だということがわかりました。私たちのバスが閉会式会場に向かったときも、警備体制が厳しく会場近くまで一般の車やバスはは入れないのですが、今度はパトカー先導で入り口まで入れていただきました。まるでVIP待遇でした。バスの中で私達は歓声をあげました。
  閉会式はとてもシンプルでしたが、世界中の障害者アスリートが各国旗の下を行進して、観客は惜しみない拍手を送りました。次回のパラリンピック開催国は中国の北京で、中国のダンサーによる千手観音のダンスはすばらしいものでした。私は着物を着ていましたが「中国人?」と聞かれた時はがっかりしました。帰りも、もちろんパトカー先導で競技場をスムースに出ることが出来ました。たった6人の視覚障害者グループに、こんなすばらしい配慮をしていただきアテネの警察及び関係組織に感謝の気持ちで一杯です。

  自由行動の時は、地下鉄を何回も利用しましたが、市民の皆さんは当たり前のように白杖を見ると、どんなに混んでいても声をかけて席を譲ってくれました。日本では考えられないほどアテネの人達はやさしかったのです。のんびりでいいかげんな国民性とガイドさんはギリシャ人を説明していましたが、障害者にやさしいギリシャの人が大好きになりました。あわただしい1週間でしたが、今度はゆっくり一人でギリシャを旅してみようと思います。

 
■IDNアウトドアクラブ「たかお会」/メーリングリストへのお誘い(再掲)
  IDNアウトドアクラブは自然に親しむことを通じて会員の健康維持や相互の親睦をはかることを目的として発足しIDN-ADF2003で産声をあげたばかりです。活動内容はみなさまのご意見をもとに広げていく計画です。連絡や情報交換のためにメーリングリストを開設しましたのでアウトドアに関心のある方、お気軽にご連絡ください。「お名前」、「メールアドレス」をお知らせください。メーリングリストに登録します。
連絡先:<
mailto:idn-outdoor-owner@yahoogroups.jp>
 
 
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■「ふれあい広場」について
皆様の近況・IDNに対する意見・催しもの案内・等など内容に制約はありません。
思わぬ出会いがあるかもしれません。
下記のメールアドレスへ自由に投稿して下さい。お待ちしています。
<
mailto:merumaga-idn@npo-idn.com>

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9.編集後記

 

■ピレネー、花とロマネスク教会(その11) 聖都モンセラットでカザルスの銅像に出会う

 ピレネーの9日目の朝、いよいよ山を降りる日がやってきた。ビエヤのパラドールを9時過ぎにバスで出発。昨日ボイ谷へ行ったのと同じルートをたどる。5Kmのトンネルを北からへ南抜けてN-230を南下する。前日ボイ谷へ左折したところを過ぎたあたりから、川とも池とも見える水を左側に見ながらひたすら走る。モンセラットに直行すると思っていた。

  10時半頃、N-230がカタルーニャからから西に外れて迂回する地点で、虔之介さんはバスを止めて「朝の散歩をしましょう」といった。バスを降りたところはモンタニアーナという街道沿いの町。古い村を抜けて石造りの橋を渡り石畳の坂道を登っていたら、古い教会が見え隠れし、サンタ・マリア教会がやがて全貌を現した。
 
  12世紀から13世紀にかけて建てられたこの教会はメンテナンスがよくないのか、昨日ボイ谷で見たどの教会よりも荒れ果てて見える。現在は教会の中に入ることが出来ない。南面の西側に位置する入り口のアーチやタンパンのレリーフなどを見た後、右方向より建物を一周してみた。南面の東側に鐘楼があり、東面に後陣の半円形の、北面には方形の出っ張りがある。入り口の位置にもどり建物の平面のスケッチを書いてみた。虔之介さんが、この教会は東西よりも南北に長いのに特徴があること、北面の出っ張りは聖具室であることを教えてくれた。ここは昔お城があったところで、周辺には物見の塔や城壁の遺構が残っているのを見ることが出来る。素朴な石積みの住居の間の石畳の道の坂を下り、石造りの橋を渡って戻ってきた。途中で、ガウディが塔のモチーフとした植物「リデューム」が石垣の上にあるのを見た。虔之介さんに教えてもらって気がついたが、小さくてかわいらしい形をしていた。

 11時半頃に出発。N-230がカタルーニャからから西に迂回して再びカタルーニャに入り、さらに南下してN-IIに入り東方へ向う。高速道路には、有料の「アウト ビスタ」と無料の「アウト ビア」があり、カタルーニャにはビアが多いそうである。ビラグラサで高速道路を下りて昼食。もう一度高速道路にもどりモンセラットに向う。やがて前方に奇岩の山が見えてきた。左に折れて山道を登り、モンセラット修道院のある高台についた。

 モンセラットはバロセロナから北西へ50Kmほどのところに位置する長さ10Km、幅5Kmほどの独立した礫岩で出来た山。最高峰は1238mのジェロニモ。ケーブルで1000mのぼり徒歩約1時間で頂に至る。11世紀に山の中腹(標高720m)にモンセラット修道院が建立され、修道などの場として古くから人の集まる聖域的な場所となっていたが、今ではハイキングやロッククライミングなど自然豊富な山塊としてにぎわっている。モンセラット修道院の前にあるホテルに着いて部屋に入った時に5時の鐘が鳴った。

 一休みしたあと修道院を訪問。列に加わって、祭壇の正面奥の上方に安置されている本尊である12世紀に作られた黒い木彫彩色の母子像を見た。6時半過ぎよりミサに参加した。ここではミサを奉じる少年聖歌隊の合唱(エスコラニア)が有名であるが子供たちはちょうどバカンスに入ったところで、合唱を聞くことが出来なかったのは残念だった。帰りに土産屋に寄り、少年聖歌隊の合唱曲のCDを買った。「鳥の歌」が入っているカタルーニャ民謡曲集を徹心君に頼んで探してもらった。このCDの「鳥の歌」はFrancesc Civilという人が編曲したものである。

 あくる日の朝、ケーブルのサン・ジュアン駅から少し山へ入ったとことにある、チェロを演奏しているパウ・カザルス(Fundacio Pau Casals 、カタルーニャでは、パブロでなくパウ)の銅像を見に行った。カザルスはこの修道院のミサのためにいくつかの曲を作曲している。
  カザルスは1876年カタルーニャに生まれた。スペイン内乱の後フランコ政権が誕生した時、政権に反対するカザルスは、「自由な政府ができるまで、祖国には帰らない」と、39年に国境に近い南仏のプラードに亡命する。そして96歳で母親の生地プエルトリコで亡くなるまで2度とスペインの地を踏むことはなかった。
 
  カザルスは、58年、63年、71年の3回、国連本部のコンサートで演奏している。71年の演奏の様子はテレビ放映もされて有名であり、カザルスのセリフが少しずつ違って書き物として残されている。ここでは、朝日新聞の04年10月2日のbeより引用してみよう。「私にとって平和はいつも最も大きい関心事です。私は長年、皆さんの前でチェロの演奏をしていません。けれども、今日は、弾かなければなりません。カタルーニャの民謡<鳥の歌>です。空に舞い上がる鳥たちはピース(平和)ピースピースとさえずります。バッハもベートーベンも他の偉大な音楽家も、この曲をたたえ愛したでしょう。わが祖国、カタルーニャの魂だからです」。
 後日、我が家のVTRの中から58年の国連デーでカザルスが演奏している映像が見つかった。NHKが放送したモノクロの番組「20世紀の名演奏家たち」の録画である。ここでは演奏を始める前に「これはカタルーニャの民謡です」とひとこと言って演奏を開始している。

 夕食には、徹心君がメンバーのリクエストにより予約をしてくれたパエリアを食べた。これは相当塩辛い味付けだった。食後に皆が感想などを言い合う時間を持った。モンセラットのお店で、虔之介さんがソルソーナに住んで8年後に書いた「カタルーニャの四季」を購入できたので、今年の4月に書いた「カタルーニャを見る日本人たち=カタルーニャ 美しさと強さ 」の2冊にサインをしてもらった。その夜は旅の最後の夜だった。【生部】

 

これまでに紹介した教会と礼拝堂の見学記と写真を下記でご覧になれます。

http://www15.ocn.ne.jp/~ryuss/pirene-.htm

 

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