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                                 メルマガ IDN【第57号】
                                      Inter Depending Network
                                      2004年8月15日発行
              
                                                        
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                               このメルマガは自立化(相互)支援ネットワーク(IDN)の会員
                             の皆様とこれまでにIDNと関わりのあった方にお送りしています
                      お知りあいの方で、このメルマガをお送りしたら喜ばれる方をご紹介下さい
                          メルマガIDNのバックナンバーをIDNのホームページでもご覧頂けます

                                       
http://www.npo-idn.com/

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                                      《第57号のご案内》

お知らせ
   = IDNアドバイザーフォーラム2004の開催について

1.ふれあい充電講演会
  =第40回(8月20日) 暑気払いと「日本未来科学館」・「TEPIAデジタル・プラザ」見学案内 
     内容が変更になっています
 =第41回(9月13日)「今、世界は・・・」の案内

2.シニアー情報生活アドバイザー講座
  =第29期の開催案内
  =アドバイザー講座の受講感想をふれあい広場に掲載
 
3.学生,社会人の進路相談
  =今回はお休み 

4.下関支部レポート
  =海峡を渡るのに7つの道   

5.楽しくITライフ 
  =大山和子さん(アドバイザー第27期生):ブログでシニアの再起動

6.IT・PC講座
 =「パソコン水彩画体験会」の案内
   
7.IDN会員募集のご案内
  =入会を考えている方に(再掲)
 
8.井出昭一さんの新連載 『柳緑花紅』
 =第8回 :魅力あふれる“東博”の建物(2)…庭園内の5棟の茶室… 

9.ふれあい広場
  =暑気払いと「日本未来科学館」・「TEPIAデジタル・プラザ」見学会:今回の見どころ 
  =「IDN・千葉地区アドバイザーの会」の報告
  =アドバイザー講座受講感想
     第27期:井上仁憲さん・山根正克さん
  =飯塚 渉さん:故郷の墓参り 

10.編集後記 
 =ピレネー、花とロマネスク教会(その4) 山峡の小さな国 アンドラ

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お知らせ
 
■IDNアドバイザーフォーラム2004
  
メルマガIDN53号・54号で第1報をお知らせしましたように、本年も秋に「IDNアドバイザーフォーラム2004(ADF2004)」を開催することにいたしました。13名の方のより「企画・運営グループ」への参加の意思表示があり、7月18日に第1回目の会合を行いました。11月13日(土)に開催することを決定し、その後具体的な内容(事前の準備・当日の運営・事後の活動など)についてメーリングリストにより議論を進めています。8月22日(日)に第2回目の会合を行いADF2004の大枠を定める予定になっています。
  IDNで講座を受講された方で、第28期終了時点で135名の方がアドバイザーとして認定されています。IDNでアドバイザー講座を受講した方が一堂に集まり、情報を共有し、それぞれの活動に生かすことが出来ればと期待します。

   企画・運営グループのメンバーは下記の方々です。
飯塚 渉・大村久吉・北野正行・國重誠之・小坂武夫・生部圭助・末藤義正・滝村紘一・利光信爾・中里三之・橋本秀久・橋本良子・村上かをり(以上13名、敬称略、あいうえお順)

1.ふれあい充電講演会

■第40回(8月20日)案内

 暑気払いと「日本未来科学館」・「TEPIAデジタル・プラザ」見学の夕べ 

  暑い日が続いておりますが、皆さまには元気にお過ごしでしょうか? この暑さを吹っ飛ばそうと、第23期の皆さん、特に黒瀬 豊さんにお骨折りをお願いして、東京の新名所臨海副都心で暑気払いを催すことになりました。併せてこの機会に「日本未来科学館」と「TEPIAデジタル・プラザ」の見学をして先端科学に触れてみよう、という企画です。皆さま、お誘い合わせの上奮ってご参加下さい。

ご案内していたスケジュールを都合により、下記のとおりに変更します。

集合時間が1時間遅くなり、集合場所も変更します。暑気払いの場所も変更になります。

既に申し込まれている方は、特にご注意願います。また、宗谷丸、羊諦丸を見学されたい方は集合時間前にご見学下さい。よろしくお願いいたします。まだ、申し込まれていない方は、皆さんお誘い合わせの上、ご参加下さい。

 

・日時:8月20日(金)修正後:14:3019:00ごろまで

                                    修正前:13:30〜19:00ごろまで

・集合場所:修正後:「日本科学未来館」入り口

修正前:「TEPIAデジタル・プラザ」(タイム24ビル1F)

ゆりかもめ 船の科学館駅下車 徒歩5分

テレコムセンター駅下車 徒歩4分

135-8073東京都江東区青海2-41 「日本科学未来館」

TEL 03-3570-9151

・スケジュール:

   14:30      「日本科学未来館」入り口集合

   14:30〜16:00 「日本科学未来館」見学(400円)

   16:00      「TEPIAデジタル・プラザ」(タイム24ビル1F)に移動

  *16:15〜17:00 「TEPIAデジタル・プラザ」見学(TEL 03-5531-5210)

  ☆17:00〜     「ラ・メール」(タイム24ビル1F)で暑気払い(2,600円)

  (*☆ここからの参加も可能です。)

4. 会費:3,000円(入場料込みです)

 

 お申込は、下記へご連絡願います。

 金田 03−3392−1043 afu@k2.dion.ne.jp 

 中川 03―3869―0315 mgt-naka@cilas.net

 

今回の見どころをふれあい広場に掲載します 

 

■第41回(9月13日)「今、世界は・・・」の案内

  今回は、日本の情報の中枢に居られる江口義孝氏に登壇していただいて、我が国に大きな影響を及ぼす国際問題について講演をして頂くことになりました。マスコミの表面を撫でているだけではわからないお話が随所に出てくるだろうと期待されます。お誘いあわせの上、多数ご参加下さい。

・講演の内容

     アメリカ大統領選挙の帰趨と世界への影響

     イラクの現状と今後

     北朝鮮問題の6ヶ国の思惑と今後の予測

・講師:NHK国際部長 江口義孝氏 
・講師紹介
    大分県出身 東京外語大卒後NHK入社

     ペルー大使館突入事件の報道を担当、フジモリ前大統領との人脈を活かした的確なレポートで注目された

     現在、NHK報道局国際部長の要職にあって、文字通り世界中からの情報の要役

     同期に手嶋ワシントン支局長

・日時:9月13日(月)PM6:00〜7:20(終了後自由参加の懇親会       

・場所:しごとセンター東京(旧シニアワーク東京)5F                 

         千代田区飯田橋3−10−3 03−5211−2307

        (JR飯田橋駅・東口、地下鉄飯田橋駅A2から5、6分、ホテルエドモント隣)

・会費:会員1000円、ビジター1500円

   懇親会 2500円 女性2000円(会場至近のレストランで、講師を囲んで懇親)

 

会場の都合で定員50名です。〆切は9月6日とさせて頂きます。

お申込は、下記へご連絡願います。

 金田 03−3392−1043 afu@k2.dion.ne.jp 

 中川 03―3869―0315 mgt-naka@cilas.net

    
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2.シニア情報生活アドバイザー講座

■ 「シニア情報生活アドバイザー」養成講座とは
  この講座は、高齢期の生活に密着した、情報技術(パソコンやネットワーク)の楽しい活用方法を教えることが出来る人を養成する講座です。NPO(特定非営利活動法人)「自立化支援ネットワーク」(略称IDN)は、「ニューメディア開発協会」(経済産業省の外郭団体)が認定する「シニア情報生活アドバイザー講座」の養成講座実施団体に指定されています。

■ シニア情報生活アドバイザー養成講座の案内
◆第29期(募集中)
・ 8月21日―9月18日
・会場:東京
・すべて土曜日の開催です 
詳細の案内は下記をご覧ください 
http://www.npo-idn.com/senior2.htm
 
ご希望の方は下記へ申し込んで下さい
 <mailto:idn@npo-idn.com>

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3.学生,社会人の進路相談をいたします

<今回はお休み> 

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4.下関支部レポート

■海峡を渡るのに7つの道
 関門海峡を渡る手段は、現在、(1)関門トンネル(在来線鉄道)、(2)関門国道トンネル(自動車道)、(3)関門国道トンネル(人道)、(4)新関門トンネル(新幹線鉄道)、(5)関門橋(関門自動車道)、(6)船・関門汽船(下関市唐戸⇔門司港)、(7)船・フェリー(下関市彦島荒田⇔小倉日明港)の7つの方法があります。本州と九州を結ぶ大動脈として重要な役割を果たしている。
 明治から昭和初期にかけては、貨車航送船、関門自動車航送船が、就航していましたが輸送量も増加、海上輸送に限界が見えはじめて登場したのがトンネルです。
 
 (1)関門トンネル(在来線鉄道)は上り線と下り線が別々のトンネルになっており、1942年(昭和17年)に上り線が開通し、複線になったのは2年後です。計画は明治のころからあったのですが、橋にするか、海底トンネルにするか議論が行われ、結局、橋にすると攻撃目標になるからとの軍事的な面と費用が安いとの理由で海底トンネルが採用され1935年(昭和10年)から工事が始まりました。工事は海水の漏水との戦い、難工事で32名の殉職者を出して完成しました。長さは上り線が3605m、下り線は3614mで下関と門司駅を結んでいます。
 
(2)関門国道トンネル(自動車道)と(3)関門国道トンネル(人道)は同時工事、完成は1958年(昭和33年)、「車道」と「人道」の2層構造になっています。車道の長さ3461m、人道の長さ780m。特に車道は本州と九州を結ぶ大動脈、1日約3万5千台前後の交通量があり慢性的な渋滞が続いています。人道の方は海底部までエレベーターで降り海面下58mを門司の和布刈まで歩くことになります。現在この人道は人気絶頂、海面下58mのため気温は、年間を通じて一定、夏は涼しく、冬は暖か、天候に左右されないため、老若男女のジョギング・散歩の絶好のコースとなっています。朝早くから夜まで大勢の人達が健康増進に励んでいます。
 
(4)新関門トンネル(新幹線鉄道)は関門海峡の中では一番新しいもので、山陽新幹線専用トンネル。新下関駅と小倉駅を結ぶ海底トンネルで、1975年(昭和44年)完成。全長18713m、海底区間は880m、殆どが陸地部を走るトンネルです。
  
(5)関門橋(関門自動車道)は関門海峡をまたぐ吊橋で、総工費300億円、5年の歳月をかけ完成は1973年(昭和42年)、全長1068m、主塔間の距離(中央径間)は712m、海面から橋桁までの高さは61m、片側3車線です。関門国道トンネルの慢性的渋滞緩和目的で作られたものですが、関門国道トンネルと比較すると料金が割高、業務用のバス、トラックは殆ど利用しません。現在のところはトンネルの渋滞がひどいとき(年末・年始、5月のゴールデンウィーク、8月の盆休み)の迂回路的な利用が殆どです。十年ほど前、関門国道トンネルの建設費の償還が終わって無料になるはずでしたが、無料になると関門橋の利用がより少なくなるとのことで、いまだに普通車で200円を徴収しています。われわれ一般庶民は関門橋の料金を下げれば関門橋の利用も増え、トンネルの慢性的渋滞も解消すると思うのだが・・・・・・・・。しかし、関門橋は関門海峡の景観には素晴らしく、観光面では非常に貢献しています。
 
(6)船・関門汽船(下関市唐戸⇔門司港)下関唐戸と門司港レトロ地区を結ぶ海上航路です。クルーザータイプの高速艇で所要時間約5分、乗船料270円。下関から門司港までJRを利用した場合は30分は掛かるため、朝夕の通勤・通学の利用が多く、観光客も下関⇔門司港多勢利用しています。
 
(7)船・フェリー(下関市彦島荒田⇔小倉日明港)荒田のりばから小倉の工場群のある日明まで門司をカットする近道になり、所要時間も13分程度ですので、関門トンネルの渋滞や関門橋の割高を避けて業務用車が多く利用します。
 
この狭い関門海峡にこんなに多くの渡航手段があるのは世界的に見てもここだけです。
 
  第28期アドバイザー養成講座が下関で開講し、8月、細金民夫さんと中本英雄さんの2名がめでた合格いたしました。これからよろしくお願いいたします。
【レポート:下関支部 青木紀雄さん】        
 
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5.楽しく ITライフ 
 
■大山和子さん(アドバイザー第27期生):ブログでシニアの再起動
 私のプレゼンテーションのテーマはブログを使って、自分のウェヴサイトを開設し、自己表現のネットワークを広げよう、という内容でした。題名は「シニアの再起動」。最初、企画書の段階では、私の友人が先に始めたので、友人のブログを参考にして説明をしようとしました。講師の方から「ご自分のブログを立ち上げて、それを説明された方が説得力が出来ますよ。」それが私にとって説得力あるご指導となりました。

  自分のホームページを持ってみたいと、パソコン・ユーザーは思います。でも、ホームページ(ウェヴサイト)って、簡単に作れる専用アプリケーションで作るとしても、なんだかややこしい。コンピュータ用語が出て来ると、それだけで初心者は腰が引けるのですよね。作ったHPをインターネットに配信するのに、いろいろとやらなければならないこともあって。
  私もブログってはっきり言ってよく分かりませんでした。「あれ、面白いし、いいよ。」って、ミーハー的好奇心をくすぐられますと、曲がりなりにもHPの管理人をしております手前、俄然、「やってみようじゃありませんか。」の前向き志向。丁度、プレゼンテーションのテーマを何にするか迷っていた時でもありました。
  しかも、専用アプリケーションを使わなくても、ブラウザ(Internet Exploror 6.0 or Netscape Navigator 7.1)があれば作れちゃいます。ブログ提供ブロバイダもプランによって無料のところが殆ど。写真のイメージも貼り付けることが出来ます。また、携帯電話からの写真、記事の投稿も可能です。

  ブログとは、本来Web(Webサイト)+log(日々更新、日記)=Weblogが短縮されblogと呼ばれるようになりました。記事がメインのサイトです。日記と申しますのは本来、公開するものではない性質のものです。でも、インターネットで公開するということは、多くの人に見てもらいたいし、意見交換したいな、ということです。アメリカで流行り日本で最近ブームになっています。
  ブログの機能に「トラックバック」があります。リンク先のサイトに「あなたのサイト(の記事)を参考にしました」ということを伝えると同時に、参考元の記事にトラックバック(記事のURL)が付けられ「ブログ」を訪れた人が、その記事のURLの記事を辿っていくことによって、記事の内容についてさらなる情報を得、ユーザ同士による活発な情報交換も期待出来ます。

  例えば、Aさんの記事をBさんがトラックバックしたとします。どういうことかと申しますと、BさんのブログにAさんのURLを明記します。BさんのブログにAさんの記事の関連した記事をCさんが読んだとします。CさんはBさんの記事はAさんの記事からの内容のものだということを知ります。CさんはAさんのブログへも訪問して、元記事を読んだりします。CさんがBさんのトラックバックのURLを付けて、記事を書きます。それをDさんが⇔C⇔B⇔A⇔Dのブログへ…。というように、限りなくブログの連鎖は拡がっていくのです。
  トラックバックの面白さは、本来、知り合うことはないであろう人たちと交流できる可能性を無限に秘めているということです。逆に隣人であってもリンクし合っていたというようなことだってあるのです。ということは、国籍、性差、貧富、世代間のギャップを難無く乗り越えてしまう交換情報網といったようなものでしょうか。

  「ブログは面白いものにあたりますと、トラックバックを次々と移動していき、時間のたつのを忘れますね。新聞記事よりも面白いから、これが普及したら、新聞・テレビのマスメディアの衰退がいっそう進むような気がしてなりません。」そう語ったブログを二つ持っている友人。実際にイラク戦争の時にイラク人が書いた「バクダッド日記」に当てはまります。メディアよりも瞬時にインターネットによって世界中に「生の」情報を伝えることが出来るのです。

  個人的な日記から、時評、ビジネス、あらゆることで使うことは出来ますが、情報を発信する側は不特定多数の読者を相手にしているという自覚が必要でしょう。まず、自分は何を書きたいのかを決めて、最初は二・三行からでも、慣れてきますと画像を貼り付けたり、カウンターを取り付けたり、自分なりの誌面が出来てきます。これが、また楽しい。
  わかりやすく、簡単な操作で、その場でウェヴサイトが完成します。完成したものを即座にインターネット上で配信、公開することが出来ます。それがブログです。少しはお分かりいただけましたでしょうか。

  私の「シニアの再起動」で、現在、シニアの方で活動をされている人たちを取り上げて、ご紹介したいと思っているのですが。人間トラックバック、とでもいいましょうか。取材して紹介した方が、次の取材をする方を紹介してもらうのです。記事はメールで寄せてもらって、写真も出来たら添付していただく、という企画です。
  IDNの域に留まることなく、元気なシニアの人であれば、どなたでも。そうすることによって、インターネットを身近なものに感じられて、ご自分がブログを立ち上げて、ネットワークを広めるきっかけになるかもしれませんし、同年代の方々の励みにもなるのでは。

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6.IT・PCの勉強会 
■「パソコン水彩画体験会」の案内
 パソコンで水彩画を描くということの楽しさや効用を知っていただく講座を開催します。ご参加をお待ちします。
・講 師:大熊 勇雄さん(アドバイザー第17期生)
・日 時:2004年08月22日(日)13時−15時30分
・会 場:品川人材開発センター
・定 員:20名(受付順にて締め切ります)
・料 金:1500円(資料代込み)
・申し込み先:<k-shobu@sirius.ocn.ne.jp>
 
*募集人員は残り2名です。「パソコン水彩画体験会」の詳細はメルマガIDN56号をご覧ください。

過去のIT・PCの勉強会の開催内容や受講感想をIDNのホームページに掲載しています。
TOPページのメニューからご覧ください。
   http://www.npo-idn.com/ 

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7.IDN会員募集のご案内

「自立化支援ネットワーク」は
内閣府(旧経済企画庁)より認証を受けているNPO(特定非営利活動)法人です。
自立化(相互)支援ネットワークの目指すもの! 
それは…自分らしい生き方・自分らしい職業を見つけてもらうこと!
同じような悩みを持っている人同士、仲間になって「自立」を助け合い、よりよい社会生活を支援していくことが我々の願いです。
 
■ IDN会員募集中
NPO(特定非営利活動法人)自立化(相互)支援ネットワークでは、正会員と賛助会員を募集しています。
*会員の方々には、会員の活動状況や情報を掲載した機関誌を、年4回発行し配布いたします。
*会員の方々には、各プログラムの割引が適用されます。
*入会金及び年会費については「入会を考えている方に」を参考にして下さい。
*詳しいことをお知りになりたい方は、eメールで、事務局までお問い合わせください。

■入会を考えている方に
  会員になるには,自分の意思(Will)がなんといっても大切です。少なくとも何のために入会しようとしているのか,目的を決めて入るのが賢明です。

  入会の手続きとしては,入会申込書と,入会金の支払いが必要になります。会員には,正会員(主体的に活動を行う会員で,総会の議決権を有する会員)と賛助会員(団体の主旨に賛同し,直接、間接時間の許す範囲内で活動する会員)の二つのタイプがあります。どちらの会員になるかは,やはり自分の意思で決めて下さい。

会費には入会金と年会費とがあります。
入会金は正会員が1万円,賛助会員が千円です。
年会費の方は,正会員が年間一口1万円,賛助会員が一口千円です。
年会費を何口にするかも,ご自身の意思で決定して下さい。

 賛助会員の年会費の口数を決めるに当たっては,以下を御参考にお考えになって下さい。
いまの法律では,一人3千円以上の会費を支払った賛助会員の会費の合計が,その団体の年間経費の25%を越えていれば,その団体(NPO)は、一般の多くの市民に支持されている優良な団体として税務署が認め,その団体に対し一般の人が寄付したお金は、税金を払ったと同じように認められ,納税時に配慮されるという点です。(ちなみに一人3千円未満はその計算の対象にならないということです)

 メール送信先:<mailto:idn@npo-idn.com>
 ホームページ:http://www.npo-idn.com/
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8.新連載:井出 昭一さん 『柳緑花紅』

■第8回: 魅力あふれる“東博”の建物(2)…庭園内の5棟の茶室… 
  東博は本館、表慶館のような“明治以降の近代建築”に対して、本館北側の庭園には“明治以前の和風建築”すなわち5棟の茶室もある。
  庭園内茶室は、西側から九条館、応挙館、六窓庵、転合庵、春草盧が点在している。このうち、九条館と応挙館が広間の茶室で、六窓庵、転合庵、春草盧は小間の茶室である。茶室はいずれも由緒あるものばかりで、茶人の小堀遠州、金森宗和をはじめ、明治以降の近代数寄者で各世代のリーダーといわれる井上世外(馨)、益田鈍翁(孝)、原三渓(富太郎)、松永耳庵(安左ヱ門)のゆかりの茶室等もあり、東博は東京では音羽の護国寺、青山の根津美術館と並んで名茶室が揃っているところでもある。
 この茶室を利用できることはあまり知られていなかったが、この4月から東京国立博物館のホームページが充実して、直接申し込みができるようになった。また東博の庭園は、樹木の種類も多く、桜は10種以上、椿は20種以上あるといわれ、四季を通じて楽しめる……、といいたいところだが、夏は蚊の執拗な歓迎があり、冬は冷房完備である。しかし、春の新緑と桜、秋の紅葉を見ながらの茶会は“サイコーです”。

九条館……もと五摂家・九条公爵の当主の居間

  九条館は、もと五摂家のひとつ、九条公爵の当主の居間として使用していたものを、九条道秀氏より寄贈され、昭和9年(1934年)に東京赤坂の九条公爵邸から当博物館に移築されたものである。木造瓦葺き平屋建て、10畳2室で廻り廊下つきである。
  一の間の床は狩野派一門による山水図が描かれており、欄間は花梨の一枚板に花菱の透かし彫りがなされおり、違い棚の端には筆返しがつけられている。筆返しは当初、物が転び落ちないためのものであったが後に装飾化されたものだという。欄間、違い棚、釘隠しに藤の文様が使われているのは、九条家の先祖の藤原家に因むもの。天井と長押との間にある細長い壁は蟻壁(ありかべ)とよばれ、正式な書院造りに見られるもので、天井をより高く豪華に見せている。
  応挙館の廻り廊下の外側が障子であるのに対して、九条館はガラス戸であるから部屋の中は明るく、ガラス越しに4代清水六兵衛が明治41年に作ったという陶器製の燈籠やメグスリノキという珍しい樹木を眺めることができる。さらに、近くにはイチョウの大樹が2本あって春先の新緑はすばらしい。秋日に輝く金色も見ごたえある。しかし、地面を埋め尽くす程の銀杏の香りには悩まされる。やはり秋のイチョウは、遠くにあって金色の姿を眺めるものなのだろう。
応挙館……応挙の墨画に囲まれた広間の茶室
  応挙館は、寛保2年(1742年)、愛知県大治町の天台宗の明眼院(みょうげんいん)の書院として建てられたものを、後に品川御殿山の益田鈍翁邸に移築、さらに昭和8年に当博物館に寄贈されたものである。
  木造瓦葺き平屋建て、18畳2間で九条館に比べて一回り大きい。九条館が寄せ棟造りであるのに対し、応挙館は入母屋造りである。床張付(絹や紙に描いて、それを室内の板や壁に貼り付けた障壁画)は、応挙が52歳のとき目の治療で明眼院に滞在した際に揮毫したといわれる。
(注:応挙館については、5月1日の「メルマガIDN」第50号をご参照)
六窓庵……宗和好みの明るい茶室
  六窓庵は六つの窓を持つ茶室で奈良国立博物館にある八窓庵などとともに「大和三茶室」のひとつに挙げられている。17世紀中ごろ、茶道宗和流の開祖で、京焼の仁清を指導したという金森宗和により、奈良興福寺の慈眼院(じげんいん)内に建てられたものを、博物館が購入し、明治10年に移築された。
入母屋造りで茅葺き、三畳台目の茶室。床が勝手付きの方に配置されている宗和好みの茶室である。茶室以外の水屋、寄付、腰掛、雪隠を明治14年に古筆了仲が増築し、第二次大戦中、一時期解体されたが、昭和22年現在地に再建されたという。東博庭園内の茶室の中ではただひとつ、内露地と外露地の二重露地を備え最も茶席の機能を完備したものである。 利休の求めた茶室が、暗い空間であったのに対し、織部、遠州、宗和は多くの窓を配し明るい空間をつくり、窓の開け方も工夫されている。宗和は、遠州、片桐石州とも親交があり、さらに公家との交流も多かったといわれる。
転合庵……茶入を披露のため遠州が建てた茶室
 転合庵は、小堀遠州が桂宮から茶入「於大名」を賜わり、宮家を招いてその茶入披露の茶会をするため伏見の邸内に建てた茶室で、その後、京都の寂光寺へ移築、昭和38年に塩原千代氏から当博物館へ寄贈されたもの。本館の北側の休憩室から池を隔てて眺められる茶室がこの転合庵で、小堀遠州の自筆の扁額が掛けられている。
  屋根は桧皮葺き。左側が二畳台目茶室。下座床で「にじり口」と「貴人口」が矩折りに配置され、遠州好みの明るく開放的な雰囲気を醸し出している。渡り廊下で水屋と四畳半の席に連結されている。茶人の特徴を一言で表した狂歌に「織(おり=織部)理屈、綺麗キツハハ遠江(とおとうみ=遠州)、於姫(おひめ)宗和ニ ムサシ宗旦」がある。
  豪放奔放ではあるが理屈っぽい織部に対し、遠州は綺麗で立派いわゆる「綺麗さび」の世界である。宗和は公家好みでおとなしく「姫宗和」とも呼ばれ、利休の孫の宗旦はわびに徹し素朴だったので、むさくるしいという意らしい。この4人の名茶人の茶室うち織部好みの燕庵(藪内流)、宗旦の又隠(裏千家)は、京都に行かなければ拝見できない。宗和と遠州の好みの茶室は東博の庭園の隣り合わせの場所で拝見できる。やはり、東博の庭園はすばらしい。転合庵の前は樹木もなく開けていて池が広がり、春には池越えにオオシマザクラ、シダレザクラを眺めながら花見の茶を楽しむことができる。しかし、こんなすばらしい景色にめぐり合えるのは1年のうちわずか1週間程度、機会を逸したら1年待たねばならない。
春草廬(しゅんそうろ) ……三渓から耳庵へ、耳庵から東博へ
  第5番目の茶室は春草廬である。この茶室は、江戸初期、海運と治水で功績のあった豪商の河村瑞賢が、約三百年前大阪淀川の治水工事の際に休息所として建てたもので、本来茶室として建てたものではない。それ故、飾りのない素朴さが魅力となっている。横浜の三渓園を造った原三渓(富太郎)が松永耳庵(安左ヱ門)に寄贈し、所沢市の柳瀬荘に移築され、戦後、柳瀬荘が東博に寄贈され、昭和34年に現在地に移築されたという経緯を辿っている。
  転合庵と同様、茶席からの眺めは春先が一番である。茶席の前にはダイコンソウが一斉に咲き、遠くにはシダレザクラ、ケンロクエンキクザクラを堪能できる。 
庭園を見学するには・・・
  東博の庭園は、残念ながらいつも入れるわけではない。というのは、庭園は春秋年二回を除いて非公開だからである。この秋の公開日は10月26日から11月30日までの予定である。東博入館者から庭園の見学の希望が絶えない。その要望に応えようとするのが、ボランティアの自主企画活動として実施している「庭園茶室ツァー」である。庭園内には、茶室のほか、史跡、珍しい樹木も多く、これらをおよそ1時間で案内するものである。平成15年には、23回開催され、その参加者は605名  にのぼった。参加者からは、「東博にこんな庭園や茶室があることを初めて知った」「茶室以外にいろいろなものがあることが判った」「ただ歩いただけでは判らないが、ボランティアのガイドで理解できた」などとの感想が寄せられ好評である。
  まだ庭園をご覧になっていない方は、公開日に東京国立博物館へどうぞ。入館者は無料で見学できます。それとも「庭園茶室ツァー」のご参加ください。こちらも無料です。ただし、誘導する際の安全を期するため、参加者を30名程度に限定しています。開催の予定日は、東博のホームページで確認してください。「催し物」をクリックし、「ボランティアのよる解説・イベント」で詳しい日程がわかります。
 http://www.tnm.jp

 初回からの『柳緑花紅』はホームページでご覧いただけます
メルマガに掲載しなかった写真もあります
IDNのTOPページのメニューからアクセスしてください
   http://www.npo-idn.com/

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9.ふれあい広場

 

■暑気払いと「日本未来科学館」・「TEPIAデジタル・プラザ」見学会:今回の見どころ 

◆日本科学未来館

 宇宙飛行士の毛利 衛さんが館長です。「21世紀の新たな夢を描く」をテーマに

・情報科学技術と社会

・技術革新と未来

・地球環境とフロンティア

・生命の科学と人間

等の参加体験型の展示があります。第一線の科学者・技術者が中心となって構想し、監修しています。

 

  日本科学未来館では団体で説明を受ける制度はありませんが、毛利さんのコンセプトの一つである「見てもらうのは物より人です。」にあるように科学者・技術者と交流が出来ます。

http://www.miraikan.jst.go.jp/

 

◆TEPIAデジタル・プラザ

 (財)機械産業記念事業財団(TEPIA)により、普段パソコンにふれる機会の少ない方への体験・学習の場として運営されています。

・初心者向けのパソコン体験セミナー

・視覚障害者向けブース

・ストリーミングコーナー

・インターネット体験コーナー

・自習コーナー

等9つのスペースがあり、TEPIAの担当者から、詳しく説明していただけますし体験も出来ます。

http://www.tepia-dp.jp/plaza/plaza.htm

 

◆暑気払い → レストラン「ラ・メール」

 TEPIAデジタル・プラザの隣のレストラン(タイム24ビル1階)「ラ・メール」で行います。

 

■「IDN・千葉地区アドバイザーの会(C-PAK第1回)」の報告

日時:8月4日(土) 午後6時−8時 晴、猛暑、風少々
場所:オリーブの木 (津田沼)
出席:生部、小川、杉村、山室、落合、羽澄、飯塚、橋本、利光、北野、松本、巳城、村杉、大村

行事、議事等:
1.生部さん挨拶
 IDN卒業アドバイザー現勢132人、その中で東葛を含む 千葉県勢50人超。何らかの発信を行う活動が行われるように
 期待する。
2.乾 杯
 小川さんの音頭により、一同発会記念乾杯。
3.自己紹介
 既に回収のアンケートを敷衍し、各自自己紹介。 多士済々なること自から顕わる。
4.. 検討テーマ
 アンケート整理の結果としての検討テーマにつき 配布資料に従い、8月20日を目途にさらに意見を募る。 これにより今後の活動方向を探る。
5. 会の名称 等
 a) 会の名称は「千葉パソコン・アドバイザーの会」(略称 C--PAK)
 b) 幹事:向こう1年間呼びかけ人の3人が当たる。
 c) オフ会:3月に一度を目途とする。
   次回は11月25日(木) 船橋市市民活動サポートセンター
 d) 名簿:メンバー限定 
6. ADF2004
 11月13日に開催計画中のIDN卒業アドバイザーによる フォーラムにつき生部さんから説明。
7. 懇談、懇親
 この間出席者間の懇談、懇親の実大いに上がる。 緒に着いた幾つかの話題の輪が展開することを期待。
【レポート:大村さん】

 

IDN・千葉地区アドバイザーの会(C-PAK)のページを立ち上げました。

第1回の参加者の集合写真も載せています。TOPページのメニューからご覧ください。

http://www.npo-idn.com/

 

■アドバイザー講座受講感想 

◆井上仁憲さん(アドバイザー第27期生)

  日本経済新聞社で出版された『定年後を極める』と言う本を、もう定年退職された先輩からいただきました。この先輩は、その中に自分の定年後の行き方を書かれていて、私がそろそろ定年後の行き方を考えなければならない時期に差し掛かってきた為、その本をプレゼントしてくれた訳です。私はご多分に漏れず毎日会社と家を往復してきた会社人間でした。いろいろな方がそれぞれの定年後の生き方を書かれていて、大変参考になりました。特に目に留まり印象に残ったのが、仙台でシニアネットを立ち上げた方が書かれていた『シニア情報生活アドバイザー』であった訳です。私は、仕事の必要上パソコンを使っていますが、専門教育を受けた訳では有りません。今回、基礎的な事を教えていただきたいと思い受講しました。


 講座の期間中は、講師の先生方のきめ細かいご指導、励まし、又受講生仲間のお話を糧に何とか認定試験を終えることが出来ました。結果はどうであれ暑いこの時期に久しぶりの受験勉強をしている様で、新鮮な気持ちになりました。何かあっという間に終わってしまったという気がします。皆さん大変お世話になりました。これからもお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

  試験後の懇親会で先輩方々の近況報告等のご活躍を聞き、大いに励みになると共に、人の輪、繋がりを大切にしていきたいと思います。これから趣味でパソコンを生かす為にどのような活用法があるか、皆さんに教えていただき自分のレパートリーを広げると共に、これから訪れる定年退職後の時間に社会参加させていただき、お役に立てたらと考えています。


◆山根正克さん(アドバイザー第27期生)

 今年2月3日、「シニアネットフォーラム21 in Tokyo」のワークショップに参加しました。参加したワークショップは『シニアネットが「ITライフ」を提案する!』で、コーディネーターは27期の指導をして頂いた生部講師でした。ワークショップに参加して、初めてシニアネットやシニア情報生活アドバイザーのことを知りました。パソコン学習で社会貢献したいと考えていた私にとって有意義な一日でした。その時、シニア情報生活アドバイザー養成講座を受講し、シニアネットにも参加したいと思いました。

すぐにでも養成講座を受講しようとしたのですが時間の都合がつかず、ようやく27期養成講座を受講することができました。養成講座の目的である「技術力」と「活用能力」については理解していたつもりでしたが、「支援能力」については良くわかりませんでした。「支援能力」とは、「講師やサポート活動をするための基本的な知識と技能」とテキストに記載されています。講義案の作り方、講師としての振る舞い方や心構え、サポート活動等を学んだ結果、「支援能力」は座学も大切だが実際に経験しないと得られない能力であると確信しました。今後はシニアネットに参加して、見学から始めてアシスタントそして講師になれるように経験を重ねて一歩ずつ前進します。
  平田、生部、橋本、山本各講師には大変お世話になりました。また、一緒に受講した3名の方々とも気持ち良く接して頂きました。今後もお付き合いをお願い致します。 

 

■飯塚 渉さん(アドバイザー第20期生):故郷の墓参り

  生まれ故郷は群馬県甘楽郡下仁田町である。父母の代に東京へ移って以来墓だけが残されているが、先祖代々の地で古くから続いていた家々の親交の名残があり、自分も兄弟妹も一定の年齢までここで育っているから、それぞれの同級生や友達も多い。毎年、季節の便りや親しみのやりとりが続いている。

 

 荒船山や神津牧場、内山峠、碓氷峠などがある長野県境近くから発する西牧川と、埼玉県境に近い上野村付近の秩父連山を源とする南牧川がこの町で合流して鏑川となる。三つの河川の河岸段丘に開けた旧市街地は狭く周囲は間近に迫る小さい山々にぐるりと囲まれて、視界が開けるのは橋の上と、川に面した段丘上だけである。かつては群馬県藤岡市で中仙道と分かれて信州に抜ける裏街道として「女街道(又は姫街道)」と呼ばれた下仁田街道の重要な宿場町であり、永く天領であったためか戦国時代から平穏で落ち着いた地域だったらしい。往時の人口や集落規模の割には寺院が多く、過疎化した現在でも1キロ四方ほどに七、八つの寺がある。 平野部や都会に人が移動したり出て行っても先祖代々の墓は移らないからか、墓参りの季節には町と寺院が少し賑やかになるようだ。町の東方の小高い山腹にある菩提寺は天台宗の古刹であり、樹齢数百年の老杉の林を背にした墓地には苔むし摩滅した古い石塔や、倒れたり埋没しそうな無縁仏らしい墓石も数多い。

 

 飯塚家は母系(父は入り婿)である。最も古い墓石は嘉永7年(1854年)と刻まれている。同じ墓地にある父の実家の墓石は数も遥かに多く最も古いものは延享元年(1744年)、今から260年前のものである。私は昔30代の頃、思うところあって家の流れを熱心に調べたことがあった。健在であった父母が知る限りの家の係累や歴史を聞き取り、父が持っていた父筋の先祖を調べた資料も貰い受け、父と同道して菩提寺の住職と面会し寺の過去帖を見せてもらったりもした。

 そのときの話でこの寺の縁起は畠山重忠によって建立された古寺であるが、かつて火災により一切を焼失しており文久時代(1861〜1863年)以前の記録・古文書はなく、それ以前のことは墓石が語るのみとのことであった。そのときの調査を家系図にまとめて今も持っている。それを眺めたり墓参りをしたときに、自分という存在は悠久の家の流れに浮く芥子粒ほどの一点にすぎないが、代々の親から子、子から孫、孫から更に繋がる子孫へと連綿と託され続けてきた家や肉親への愛・希望・願い・祈りが、聞こえてくるような気がして、いつも身が引き締まる思いになる。これはハッキリと意識している訳ではなくとも、日本人特有の死生観といわれる「死者が死後も居続ける」という観念・感受性が自分にもあるということなのだろう。 私の祖母が寺参りをよくする人で、幼い自分は兄弟の誰よりも連れられて行くことが多かったことが原体験になっているのだろうか。

 

 お盆の頃は行き帰りがラッシュになるので、この夏も例年のように一足早く墓参りに行ってきました。家内・娘のほかに妹も誘って私が運転手を務める往復480キロの長距離ドライブ。飯塚家の先祖の墓参以外にも、父の実家筋の墓、家内の実家の墓、田舎の古い付き合いの家の墓、友人の母の葬儀欠席の埋め合わせの墓参・挨拶と、ついで参りを詫びつつ一気に済ませる予定で、お布施・香典はいうに及ばず、花束・線香 各10束、墓掃除用に たわし、スポンジ、ポリバケツ、蚊取り線香、各方面へのお土産に梨5箱(計25s)など ほぼ満載に積み込んで、イラクに発つ人道支援NGOもかくや、という光景です。時期も時期、天候も文句なし、そのうえ女三人同乗、と条件もそろえば車内はレジャー・行楽のノリと賑やかさになるのはなんとも致し方ないところ。

 

 順調な行程で故郷に到着して昔懐かしい景色と変わらぬロケーションを目の当たりにしながら、メインイベントの墓参は蝉しぐれの中で気持ちよく済んだ。それぞれに墓石に向かって挨拶や報告を語りかけ、線香を手向けて手を合わせるしぐさは自然に人を神妙かつ敬虔な気持ちにさせ、墓地に漂う独特の静けさと大木の「気」を感じながらすがすがしくなってゆく。いつもながら墓参の気分は格別だった。 

 一通りの公式行事(?)が終わり、運転手はそれぞれのリクエストに応じた所へ車を進める。まずは娘所望の、「神津牧場の(飲む)ヨーグルト」を産地で直接買い付けるリクエストに対応する。ジャージー種という珍しい牛は、茶と白ツートンカラーの痩せて骨ばった牛だが、牛乳も、ヨーグルト、バター、チーズ、ソフトクリームなど乳製品はとても美味しい。 荒船山や妙義山の奇観を遠望しながら町へ戻り、かねて美容とダイエットに熱心なご近所・同僚・友人に好評の「さしみこんにゃく」ほか各種マンナン製品を買い求めたい女性の圧力に逆らわないよう大人しく専門店に車を止める。ひとしきり買い込んだ品物は実に重いし、冷たくしたまま運びたいものばかり。こんなこともあろうかと用意して来ている数個の発泡スチロール箱に大量の保冷剤と共に収納してトランクへ。 これでやっと運転手の希望を叶える時間となった。子供の頃の夏、毎日終日遊び過ごした鏑川の名勝「青岩」で川石をいくつか拾って持ち帰りたい。近頃は綺麗な石が拾えるようなところ、それも大きめの石は車で川まで降りて積みたいがそれが叶うところが滅多になくなった。ここではそれがまだ可能で大満足だった。焼けて熱い石を10個ほど積み込んだ。

 

最後のとどめは、町外れに新しく出来た「道の駅」に何か目ぼしいものはないか覗いていきたい、という圧倒的多数の意見でそこでも停車。結果はなんの収穫もなし。これで全て気が済んで気持ちを切り替え帰路についたのが午後5時ジャスト。やや渋滞の上信越道、かなり渋滞の関越道を乗り切り、二人を都内で落っことして、事故渋滞の首都高速から湾岸道に逃げ、館山道市原ICを出て帰宅が午後10時半だった。

 

 今回はワケあっての日帰り墓参でやや慌しく、故郷の感慨にゆっくり浸ることも出来なかったが、僅か18年と、今ではこれまでの人生の三分の一足らずを暮らしたに過ぎない故郷でもそこへ行くときの気持ちは、いつまで経っても「行く」というよりそこへ「帰る」気がするのは不思議なものです。 生まれ育った「産地」というのはDNAの大きな構成要素なのでしょう。私は先祖の墓には入れませんが、たとえ知る人が誰もいなくなったり、万一 町が廃墟になったとしても、時々はどうしても行かずにいられない場所です。
          
■IDNアウトドアクラブ「たかお会」/メーリングリストへのお誘い(再掲)
  IDNアウトドアクラブは自然に親しむことを通じて会員の健康維持や相互の親睦をはかることを目的として発足しIDN-ADF2003で産声をあげたばかりです。活動内容はみなさまのご意見をもとに広げていく計画です。連絡や情報交換のためにメーリングリストを開設しましたのでアウトドアに関心のある方、お気軽にご連絡ください。会員の「お名前」、「メールアドレス」をお知らせください。メーリングリストに登録します。
連絡先 
<mailto:idn-outdoor-owner@yahoogroups.jp>

 

9月にたかお会(第4回)「日和田山と百万本の曼珠沙華」を予定しています。
詳細は後日、ご案内いたします。

■「ふれあい広場」について
皆様の近況・IDNに対する意見・催しもの案内・等など内容に制約はありません。
思わぬ出会いがあるかもしれません。
下記のメールアドレスへ自由に投稿して下さい。お待ちしています。
<mailto:merumaga-idn@npo-idn.com>

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10.編集後記

 

■ピレネー、花とロマネスク教会(その4) 山峡の小さな国 アンドラ

   われわれは、 アンドラ公国の首都のアンドラ・ラ・ベイヤの少し北に行ったラ・マーサにあるホテル・リュトランに2泊した。ラ・マーサは川沿いの小さな町でありいつもは静な町と思われるが、日没まで工事の騒音がうるさかった。ホテルのすぐそばがスキーのリフトの出発点の建物を建設中で、建物の外溝工事が行われていた。シーズンに向けての工事を急いでいたのであろう。

  今回訪れたピレネー山脈にある町や村の建物は、法的な規制があるのかは分からないが、町並みに統一性をもたせながら作られている。宿泊したホテル・リュトランも町並にも配慮しており、中でも目立つ存在だった。各階のベランダに赤い花のプランターが並べられており、外部から見ると赤い5層の線が帯状に見える。1階のレベルの庭にはプールがあり、2階のレベルには、かつてのテニスコートに現在は芝が貼った庭になっており、庭からは丘の斜面に点在する建物の向こうにピレネーの山々を望むことが出来た。

 

  アンドラ公国はピレネー山脈(標高1029M)にあるスペインとフランスに挟まれた、面積約470平方キロメートル(種子島程度)、人口6.4万人(2000年1月)の小国である。こんなに小さな国がこんなところにあること自体不思議である。

  スペインのあるイベリア半島は昔から民族と宗教の争いが耐えないところだった。イスラム軍が711年に北アフリカからイベリア半島に進入した時からイスラム支配が始まり1492年のグラナダ占領まで続いた。いわゆるレコンキスタといわれる国土回復運動が終わって、フォア伯(政治・軍事・法務を管轄)とウルジェイユ伯(文化・教育・宗教を管轄)の共同統治という形で国という概念として歴史を踏み出した。フランス及びスペインは、1993年6月アンドラ公国を主権国家として承認した。また、同年7月アンドラは184番目の国として国連加盟が認められた。現在、フランス大統領とウルヘル司教の2人が共同元首をつとめる共和制の国家となっている。

 

国旗はフランスとスペインの旗をあわせた色の三色旗に紋章が組み合わされたデザインになっている。人種はスペイン人・アンドラ人・フランス人、言語はカタルーニャ語(公用語)・スペイン語・フランス語、宗教はキリスト教(カトリック)が国民の約94%を占めている。

 

長い歴史と伝統を有するアンドラ公国では、ピレネー山脈の豊かな山岳の自然環境を生かしたスキーリゾート・トレッキングの基地や荘厳な歴史遺跡はクオリティーの高い観光資源となっている。1950年代以降取り入れた無税国家という政策から免税ショッピング街が発達し、周辺の国からの流行の最先端の品々を買い求める人々で賑わっている。商業とスキーリゾートは、アンドラ公国の発展の原動力になっている。またアンドラはタバコ産業が盛んなのも特徴のひとつで、国内をバスで走っていると目立つのは、山間の壇状の狭い畑のいたるところにタバコが栽培されているのが目につく。

 

オリンピックの選手団の入場行進を見ていたら、アンドラの選手と役員の小集団があった。冬季のオリンピックではもっと多くの参加者があるかもしれない。ピレネーの山あいの小国から訪れた彼らに目を留める人は少ないかも知れないが、今回は懐かしくテレビに見入った。

【生部】
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