「海外旅行体験話クラブ」日記帳

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■第7回(9月17日)開催報告
◆スピーカー1:東川征夫さん
題目:中国 大姑娘山(タークーニャン)5025m登頂の旅
 
 今回の東川さんの発表は、PowerPointを駆使したすばらしい発表でした。映像による詳しい地図や、豊富な写真、そして音楽ありの凝りに凝った内容は参加者全員に感動をあたえてくださいました。
 
 この旅の出発は、1枚の登山のCDから、出会いがスタートしたという。
 登山家・山田昇(故人)から登山家でペンション経営をされている宮崎勉(数々のヒマラヤ遠征に参加)へと不思議な繋がりが続く(ちなみに山田昇がマッキンリーで遭難した際、救助に加わったのが、次に発表の佐藤昌子さんのご主人である。これまた不思議な縁である)。

 東川さんは、昨年、偶然ペンションを経営している宮崎勉の元へ行くことになる。そこで、まだまだ登山可能であることを教えられ、またツアーもあることを知ることになる。その時紹介されたのが、中国大姑娘山(タークーニャン)5025m登頂の旅である。7月上旬その旅は始まった。全国から17名が参加された。男10名、女7名の参加であったが、なんと年齢は59歳から79歳までで、平均年齢は65.7歳というのには驚きであったと感想を述べられた。

 高度順応を含め11日間の旅である(4泊ホテル・6泊テント)。成都(日本企業が多く進出しており、マンションも多い)からベースキャンプ地である3600mまではバス中心の行程である。途中の休憩場所でトイレを借りるが有料で、現地の経済状況から見るとかなり高い料金であったようである。しかも、丸見え状態のトイレにはいささか困惑されたと。ハイキャンプ地4300mまではもちろん歩き。途中では、高山植物の無数のお花畑を見ることができ感動された。我々も、映像に映し出される写真を見ているだけで、感動が伝わってきた。なかには、大変珍しい花も少なくなく、幻の花ブルーポピーの群生なども確認された。毎日雨の日が多く、山々を見ることが難しかったが、ハイキャンプからの登頂の日は、運良く晴れ上がり、山々の雄姿を仰ぎ見ることができた。宮崎氏によると、東川さんの酸素飽和度(ハイキャンプ地にて)は62?80ということで、まだまだ高い山は登れるということでした。

 今回の登山で、東川さんは次の3つのことを再認識されたようです。
1、挑戦! 成せば成る 2,出会いを大切に 3,感謝するこころ
 
 東川さんの、今回の体験話は、数多くの写真を織り交ぜ、とても具体的で感動的なお話が続きました。これは、「海外旅行体験話クラブ」だけの発表では、大変もったいないという印象でした。きっと近いうちにホームページ等でご紹介されると思いますが、是非とも、講演会などで改めて発表されるといいのではないかと思った次第です。再度、あの美しい映像を見てみたいという思いを抱いている方は、私だけではないと思います。

◆スピーカー2:佐藤昌子さん
題目:憧れのフロリダでの生活
 
 今回の発表は、ウイスコンシン州の友達(以前学校で、日本の文化を紹介する民間親善使節ボランティアとしてアメリカに行って以来の友人)から、コンドミニアムを購入したから遊びにいらっしゃいと誘われ、伺った時のお話です。

 購入されたコンドミニアムは、運河沿いのもので、どの家からもボートで直接海に出られるという環境を備えた、とてもすてきな所でした。用意してくださった写真で見る限り、ゲストルームとはいえ、中も外の景色もまるでリゾートホテルのような感覚! 写真を見ている我々は、ただただ、すごい! うらやましー! の声。このウイスコンシン州というのは、アメリカでも人気の州で、住みたい州でもあるようです。リタイアした後、住みたい街はフロリダだそうです。この付近には、エジソンのファクトリーやマーメードショウなどもあり、楽しく見学したそうです。またポートマイヤーの学校から、急きょ日本の文化を教えてほしいと依頼され、授業に参加されたとのこと! 佐藤さんの顔の広さと、何でもこなしてしまうハートには、皆、あらためて感心しきり!

 ウイスコンシン州だけではないと思いますが、アメリカの老人ホームは街中にデーンと建っており、しかもガードマン付き、プール付きでもある。日本では郊外にひっそり建てられているのを考えると対照的! ちなみに、リタイアというと日本はブルーに、しかしアメリカではハッピーリタイアという。

 この他の話としては、アメリカは子どもが増えている(家族に2?3人)という話や、日本のマンションと言われるものは、アメリカではコンドミニアムクラスであるという話が出されました。
 佐藤さんのお話はテンポがよく、また数多くの写真を映像として拝見することもでき、とてもイメージしやすく楽しいものでした。



■第6回(6月18日)の開催報告

テーマ1:「グアムとはどういう所か!」
 今回は、金田和友さんによるお話です。今年の1月末から2月上旬にかけて行かれたグアム島の話です!
 グアム島は、淡路島より少し大きい島ですが、北半分がアメリカの空軍基地、南半分に海軍の基地がある軍事拠点となる島です。街(リゾート地)は、基地と基地に挟まれた真ん中に存在します。観光客は殆どが日本人で、日本人のリゾート地といったところだそうです。グアム島は、そもそもマレー系のチョモロ族が先住民族でしたが、16世紀にマゼランが島を発見してから、しばらく友好関係にありましたが、考え方・価値観の違いから(物々交換)次第にいざこざが多くなっていた歴史があるようです。先住民が物を勝手にもっていくことから「どろぼう島」とも呼ばれていたそうです。

 17世紀に入ると疫病が発生し多くの先住民が亡くなり五千人くらいに減ったそうです。その後、フィリピン系移民が多く入り、今ではチョモロ族系の人間は殆どいなくなってしまったようです。現在のグアムは、正式にはアメリカの州にはなっておらず、凖州扱いになっているそうです。独立はしているがアメリカの支配で、国政も制約されているようです。
 金田さんは、滞在中ゴルフ三昧の毎日を過ごされました。プレーはセルフで$120(つい最近までは$60だったとか!)だそうです。コースは比較的大きな谷越えあり、ブッシュありで、日本でのスコアーと同じというわけには、なかなかいかないようです。宿泊先のレオパレスリゾートは、日本人が7?8割を占めているようです。ここは、巨人軍のトレーニング地でもあり、スポーツ関係の方々がよく利用するそうです。
 今のグアムは、軍と日本人観光で成り立っています。また、旧日本軍の残がいを残した公園もあり、歴史を感じさせてくれる島でもあるようです。
 
 今回は、グアムの地図を真ん中にして、プロジェクターで写真を拝見しながらお話くださいました。会の終了後、居酒屋で「IDNでゴルフクラブをつくってもいいんじゃない!」という声で盛り上がりました!
 
テーマ2:「海外で体験したオプショナルツアーについて」
上記のテーマを、出席者全員で話し合いました。以下、箇条書きいたします。
◇音楽関係に強い観光業者から年に何回か案内がくるのだが、偶然ウィーンフィルとベルリンフィルの演奏会が一緒に聞けるチャンスがあるのを発見し、早速業者に手配し、夢が実現した。7泊9日で4回のコンサート!
 ベルリンコンサートホールは、1963年の完成。卒業設計の参考にしたところでもあり感激!
 【次回以降、発表予定】

◇スイスで、3000?4000メートルの高度でのトレッキング。初日から雪中トレッキングとなる。山の麓に広がる農村風景は美しかった。温暖化の影響で、今後景色が変わってしまう事を知る。
 【次回以降、中国での山登りについて発表予定】

◇ ハワイでトローリング。ブルーマリンを狙うが、シラー5本に終わる。サオが太いた め思ったほど強い引きは感じられなかった。スカイダイビングは、高度4000メートルから落下時速200キロで降下。思ったほど怖くなく気持ち良かった。
◇3泊4日で長江を下る船旅。当時、中国の国家プロジェクトである三峡ダムが建設中ですが、これが完成すると、かなりの部分が水の底になってしまうことから、その前にということで旅行された。黄色くにごった川の両端には高い山(崖になっている)がそびえ、湿気が多いことから、念願の墨絵の世界を堪能されたそうです。なんでも、長江の支流には、まだ未確認の少数民族や原人が住んでいるとのことです。切り立った崖の頂上付近の窪みには、石棺が置かれているそうです。


■第5回(3月19日)の報告

テーマ1:「香港での挙式突撃レポート」
 今回は、伊藤政弘さんによるお話です。香港での結婚式に出席できるチャンスがあり、日本との結婚式の違いなどを中心に報告していただきました。

 香港の結婚式は、披露宴のようなもので、堅苦しい式などはないそうです。ホテルの宴会場を、午後1時くらいから貸し切る形です。実際の披露宴は午後8時からなのですが、その間は、別室でマージャン大会と記念写真の撮影というスタイルになっています。午後7時くらいになるとようやく、披露宴の雰囲気がでてきます。
 受付では、縁起物のスイカの種を赤く染めた食べ物やお菓子(子ども用)が並べられていて、その真ん中に写真入りの大きな紙が用意されています。来られた方は、そこに寄せ書き風に名前を書いていきます。

 会場に入ると、新郎新婦が待ち受けていて、一緒に記念写真の撮影となります。伊藤さんは、親類ということで、お茶の儀式を受けたそうです。新郎新婦より、お茶を一杯ずつ入れてもらうのです。これは、この結婚を認めますという意味だそうです。この時、同時に祝儀袋を渡します。香港では、必ず赤い色の祝儀袋を渡します。白は縁起が悪いという事で使用しません。金額は、夫婦で出席の場合800?1000HK$くらいです。

 この他、香港の結婚式の特徴を挙げると、2つのワイングラスを紐で結び付け、手をクロスさせて飲み干したり、皆から愛情の深さを確かめるため、キスを要求します。二人は、ここぞとばかり、長い長いキスをするのです。すると周りの人間は、「はいはい分かった分かった」と半分あきれ顔で二人を見守ります。それでも二人はキスを続けるのです。約1分はキスをしていたそうです。

 この他、日本との大きな違いとしては、新郎新婦が常にテーブルを回り続け、ゆっくり座っている時間があまりないということでした。
 今回の報告では、香港で使われる祝儀袋や写真なども、参考に見せていただきました。
 
テーマ2:「外国における大人と子どもの関わり方・教育」について
 上記のテーマを、出席者全員で話し合いました。以下、箇条書きいたします。
◇アメリカの学校は、自分の事を(考えを)皆の前で発表することなど、普通に行っていて、自己主張することに慣れている。先生は、もし間違った事があれば、素直にあやまるし、子どもを引きつけるテクニックがうまい。障害者の子どもも、一般の子どもと同じ教室で勉強する。親は、交代で授業のお手伝いをする。
 校長先生は、年功序列でなるのではなく、試験を受けて校長になるので、若い校長もいる。校長は、学校経営に手腕が問われる。学校には、職員室というものはなく、先生の名前の教室があり、3授業を続けて行い、その後25分くらいの休憩がある。アメリカでは、高校まで義務教育。教育と、職業訓練が同じ省になっている。
 時には、警察も授業をする。校庭に集まって朝礼などしない。茶道なども取り入れる。これは精神的なものを求めている。

◇ 東南アジアの学校(バンコク・タイ・シンガポールなど)は、日本式の学校が多い。教育熱心で、有名校に入れるために都心に住所をおいて国立大学に入れようとする。
 日本人学校は、日本よりもレベルが高いようだ。学校経営は、日本の企業がお金を出している事もあり、親の意見は強い。日本人学校へは、スクールバスで通うので、現地の子どもたちとの交流は少ない。
 タイでは、夏休みが6月中旬から8月末までで、学校の先生はその間アルバイトをするようである。

◇ アメリカは狩猟民族の血が流れていて、自己主張するが、日本などは、農耕民族なので、共同する意識が強い。そんなことが教育にも出ているようである。

<開催データ>
・日時:3月19日(日)午後1時30分から4時30分まで
・会場:中央区京橋プラザ区民館3F 和室
・参加者:6名
【レポート:伊藤政弘さん】

*これまでの開催状況をこちらでご覧いただけます



■再開第4回開催の開催報告

テーマ1:龍 昭一郎さん「海外を渡り住んでみて」
 龍さんは、お仕事の関係で海外出張が数百回にのぼり(年間最低20回、月に4回出たこともあり)、訪問国は50余ヶ国に及ぶという体験をお持ちです。初めての海外出張は、昭和38年(1963)のニューヨークで、その頃の日当が$18で十分な生活ができたそうです(昼はダラーステーキ$1と夜は$3〜4も使えば十分だったそうです)。今ではちょっと考えられませんね! 

 今回はオーストラリアに駐在したときのエピソードを中心にお話くださいました。
 龍さんは、単身で(後でご家族も来られる)オーストラリアに駐在することになるわけですが、まだその頃は、日本の企業の海外進出は少なく、何から何まで自分ひとりでやらなければならないので、大変な苦労をされたそうです。事務所と同時に自分の住む場所も探さなくてはならず、不動産・リース契約など初めての体験ばかりだったそうです。机などは、注文してから造りだすということで、結局事務所設営には1ヶ月程かかったそうです。オーストラリア生活での特徴を挙げると、雇用・生活面は全て週単位で行われ、つまり給料は週給制、家賃も週払いということです。

 オーストラリアの州は5州で、それぞれに独自性を持っており、たとえば、州をまたぐ道路を車で走行中、植物検疫所でストップをかけられ、ハエの卵がついている可能性があるので、この州に入る場合は、果物類は置いていかなければならないというアクシデントもあったようです。州をまたいでハエが飛んでいても、それはおかまいなしで…

 また、こんなことも。当時のオーストラリアでは、鮪のトロの部分は捨てられていたそうです。それを発見して「ネコの餌にしたい!」と言って、持ち帰ってはよく食されていたそうです。今ではもちろん高級品ですが…… 鯛の頭も同じ手口で、よく潮汁にされたそうです。ちなみに店頭では、魚はぶつ切りで売っているそうです。

このほか、納豆や牛蒡などの種を密かに持ち込んで育てて食べた話や、オーストラリアの原住民にアボリジニーがいますが、彼らに家を作って住まわせようとしても、そのうち窮屈だからといって、出て行ってしまうという話など、昔ならではの楽しい話をお話くださいました。
 
テーマ2:生部 圭助さん「昼は仕事を、夜はコンサート三昧」
 生部さんは仕事上、海外出張が多く、会社人生の(1973年を最初に1998年まで)25年間に8回欧米に出かけられ、延べ18回のコンサートにいかれました。海外でのコンサートは、昼間に仕事をし、皆が食事やお酒を楽しむ夜のフリーな時間にでかけるといったパターンです。1989年にヨーロッパに出張した時には、14泊のうち5回もコンサートへ出かけられたそうです。今回の発表では、ニューヨークのコンサートとイタリアのスカラ座での体験話を中心にお話しくださいました。

 ニューヨークでは、宿泊先のヒルトンホテルからチケットを買うためにリンカーンセンターに行くと、切符売り場のおじさんが大変親切で、席を探すのを手伝ってくれたそうです。そして、その日は正規のプログラムの前にプレコンサートがあるので是非聞きなさいと薦めてくれたのです(こういう親切が嬉しいですね!)。一旦ホテルに戻り、プレコンサートの開始時間に合わせてでかけていきました(リンカーンセンターは、中心部の広場に入ると、正面にメトロポリタンオペラハウス、右にコンサートホール、左に劇場が配置されています)。

 親切なおじさんのおかげで、通常の演奏会とプレコンサートまで聞くことができ、気分も上々で帰途についたのですが、ぼんやり歩いていたせいか道に迷ってしまったそうです。ふと気がつくと、通りに面した店から歩道まで人(ほとんどが黒人)があふれていて、まったく違った性格の街に迷い込んでしまいました。リンカーンセンターは、セントラルパークの西側のスラム地区を再開発していたことを、後で思い出したそうです。そこに、運良く丁度タクシーが来たので乗り込み(逃げ込むが、タクシーの運転手は怪訝な顔で…)、目と鼻の先のホテルに無事に帰れたという、ちょっと怖い体験談でした。

 イタリアのスカラ座では、いつも通り夜にチケット売り場に行ってみると、ちょうどオペラシーズン開幕前でコンサートコンサートに行ったそうです。チケット売り場には長い行列が出来ていたのでした。急いで最後尾に並びましたが、残念なことに、もう少しというところで切符は売り切れ、行列の人たちは不満げな顔をしながら引き上げていったそうです。ところが、未練げに切符売り場のあたりを見渡してみると、まだ開いている窓口があったのでした。窓口で尋ねてみるとチケットはまだあるというのです。「あの行列はなんだったのか? きっと当日売りの安い席の行列だったのだ」と思いつつ、バルコニー席のチケットを……

 ヨーロッパの音楽会チケットとしては少々高く、案内人に連れられてロビーを横切り階段を昇り、3階の外周の通路から中に入ると小さな前室があり、カーテンを開けるとその先に席があり、そこから舞台と1階の客席を見下ろすことができた。席に座って驚いたそうです! なんとその席は、舞台の方を向いていなくて二人が対面して座れるようになっており、首を90度回して舞台を見るようになっていたのです。二つの席は、ちょうど膝が触れる程度に離れていたそうです。スカラ座最高の席は、オペラを見るのは二の次で、社交の場でもあることを悟ったということでした。ちなみにこの時は、同行の先生(男性)と向かい合って席に座ることになったそうです……

当日のお話の中で紹介された「ニューヨーク空中散歩」を下記でご覧になれます 
http://www15.ocn.ne.jp/~ryuss/


■再開第3回開催報告

テーマ1:「オランダ駐在体験と旅の楽しみ」(ヨーロッパを中心に)御手洗 健
テーマ2:「私のひとこと海外体験話」参加者全員
 
9月25日(日)再会第3回目の「海外旅行体験話クラブ」が開催されました。
今回は御手洗 健さんの「オランダ駐在体験と旅の楽しみ」と、参加者による「私のひとこと海外体験話」が発表されましたので、ご紹介いたします。
 
【オランダ駐在体験と旅の楽しみ」(ヨーロッパを中心に)御手洗 健】
 御手洗さんは、48歳で自立し、社長としてヨーロッパを営業活動されていた経緯をお持ちです。今回はその駐在体験を通してのお話となりました。ポイントは、ヨーロッパは「個人主義」という点です。
 ヨーロッパでの会社の仕事というのは、それぞれ専門職という形をとっており、他の人の仕事には手が出せないということです。日本の会社のように誰かが休んだからそれを補うということは決してありません。年功序列というのもありません。分かりやすく言うと「就職=ヨーロッパ」「就社=日本」といった違いが顕著なのです。
 また、ヨーロッパの人はバカンス(年間20日?40日くらい)を楽しみにしているので、バカンス時期は仕事にならないそうです。残業というのも少なく、そうならざるを得ない場合は、50%増しという条件で仕事にあたるそうです。ヨーロッパの人たちの仕事観は、遊ぶために仕事をする(お金を稼ぐ)といった感覚で、日本人のそれとはまったく違うようです。もう一つの特徴として、一回休職しても、専門職であるがゆえに、すぐにカムバックできるといった利点があるようです。更に、「経営者ほどよく働く」といった傾向もあるようです。
 日本では大学を卒業するまでは親が面倒を見る場合が多いですが、ヨーロッパでは18歳で家を出るというのが当たり前のようです。大学などの費用は親は一切出さず、自活するのが常識になっています。

この他、事故や盗難は自己責任になる話(安全は自分で守れ! 子どもは道路では遊んでいない、盗難も保険で対応)や、劇場に行く際は、安全面を考えて劇場の近くにホテルを予約することや、冬は霧が多く発生し、飛行機のスケジュールには注意が必要であるあることなど、多くのお話で大変盛り上がりました。

【私のひとこと海外体験話 参加者全員】
参加者全員による「ひとこと体験談」ではありましたが、皆さん色々な経験をお持ちの方ばかりで、大変盛り上がりました。主なものを下記に記します。
○コンサート終了後出口を出ると、辺りは再開発地区になっていて誰もいなく、真っ暗で大変恐い思いをいたしました(アメリカ)。
○夜の会食というのは、会話の時間が多く大変だった。そんなときは、日本語講座をやると受けました。
○海外旅行はツアー専門。飛行機ではいつも飲んでばかりいます。もちろんお酒を!
○友達と海外へ行くことが多い。その国でどんな生活をしているのか興味が湧く。
○ ソ連崩壊の時の、国会議事堂砲撃の一瞬を目にしました。テレビと現実の映像が目の前で展開しているという貴重な体験話。
○カナダに娘がいるので、英語を再度勉強して楽しめたらと思っている。
○最初に行った外国はアメリカ! その土地に入ると不思議に会話する気になる。なんとかなると思うのが不思議。アメリカ人は2割がしゃべれないらしい。
○アメリカ滞在中、トラックを乗りつけて家の中の物を持っていかれた経験がある。その経験から、クマのような犬を飼った。家に帰って、犬が出てこなかったら注意が必要。
○アパートの子どもだと予想されるが、家の中のテレビやテープレコーダーだけ盗まれた経験あり。不思議に現金はそのままだった。
 
この他にも、おもしろい体験話がありました。
今後も時々、参加者全員による「ひとこと体験談」を実施していきたいと思います。

■再開第2回開催報告
テーマ1:「海外ゴルフツアーと番外体験談」丸岡将泰
テーマ2:「世界最大の回教徒の国インドネシア人のロマン」羽澄 勝
 
7月2日(土)再会第2回目の「海外旅行体験話クラブ」が開催されました。
今回は丸岡将泰さんの「海外ゴルフツアーと番外体験談」と、羽澄 勝さんの「世界最大の回教徒の国インドネシア人のロマン」が発表されましたので、ご紹介いたします。次回は9月に開催予定です。


海外ゴルフツアーと番外体験談:丸岡将泰
 最初に、丸岡さんが海外旅行に出かけられた一覧表(プリント)を基に、各国(アメリカ・シンガポール・スペイン・アルゼンチンなど)での珍しい話や美味しいワインの話、更には失敗談まで飛び出した楽しいスタートとなりました。今回は特に、ハワイとオーストラリアでのゴルフ体験を中心にお話下くださいました。
 2001年から5年続けて、毎年自治会内のゴルフ同好会仲間と、一月の寒い日本を抜け出し平均気温22度のハワイでゴルフを楽しんでいるそうです。今年は「ハワイ・パールオープン」の会場Pearl  Country  Clubで、大会1週間前にプレーし、競技会用に仕立てられたラフの厳しさを経験されました。また、Kapolei  Golf  Courseなどは、郊外の高級住宅地の中にあり、草花や池がきれいに配置された、とても美しいコースでプレイを楽しまれました。


 昨年10月には、オーストラリアの友人の企画で、9日間のゴルフツアーを楽しみました。が、ケアンズ空港でいきなりアクシデント! 持参したゴルフシューズの僅かな土汚れにクレームがつけられ、その場で靴の消毒を受けたのでした。ゴルフは、「Links  Golf  Club 」「Hope  Island  Golf  Club」(ゴールドコースト)「The  Lakes  Golf  Club」(シドニー)でプレーされました。
 コースはハワイ同様小鳥たちが周りをちょこちょこ歩き、多くの草花が歓迎してくれましたが、ある時、同僚がブッシュに打ち込むと、巣を襲われたと思った親鳥に耳脇を嘴で突かれ思わぬ怪我にあってしまいました。その後もしつこく追いかけてくる親鳥に執念を感じられたようです。
 プレーは日本のルールとは違い厳しい上に(ボールが打てなければアンプレアブルかロスト宣言しペナルティを払う)、難しいコース(左右はブッシュ、グリーンは堅く周りが低く下がっていてすぐに大きくこぼれる始末!)だったようです。

海外ゴルフツアーと番外体験:丸岡将泰さん
<ハワイで>
 私は2001年から毎年自治会内のゴルフ同好会仲間と、日本の冬・寒い時期・1月に平均気温22度のハワイでゴルフを楽しんでいる。旅行代金は格安の、4泊6日5万円以下で(食事とゴルフ代金は別)。
最初6人で始めたのが、年毎に参加希望者が増え今年は36人の大賑わいとなった。ゴルフプレーは毎年3コースを設定し、いろいろなコースを楽しんでいる。
 今年は新鋭女子プロ・横峰さくらが男子プロに混じってプレーし7位に入った競技会「ハワイ・パールオープン」の会場Pearl Country Clubで競技会の1週間前にプレーし、競技会用に仕立てられたラフの厳しさを味わった。

 また、日清カップヌードル女子選手権競技会(LPGA)として使用されるコース、郊外の高級住宅地の中にあるKapolei Golf Courseなどは、草花や池が綺麗に配置され、周囲の住宅と調和した美しいコースがプレーを楽しませてくれる。
 ハワイゴルフツアーのもう一つの楽しみは、ヨットでのサンセットクルージングやダイアモンドヘッドなどへのハイキング、ワイキキの東浜では水際から10m位の所でも浅瀬でエンゼルフィッシュなど沢山のきれいな魚と戯れることができるシュノーケリング等、いろいろゴルフから帰っての遊びが一杯待ち受けている。勿論奥様方はショッピングなども大いに楽しんでおられるようで。
<オーストラリアで>
 昨年は10月に、南半球のオーストラリアに永住権を有する友人の企画で参加者8名による9日間のゴルフツアーを楽しんだ。
初日ケアンズに到着、空港では厳しい手荷物チェックに会い持参したゴルフシューズの僅かな土汚れにクレーム、その場で靴の消毒を受けをようやく通関。現地は初春。街の中に咲く花・紫色のジャカランタ(日本の桜に相当)を、眠い目をこすりながらマイクロバスの車窓から眺めLinks Golf Clubへ直行。第1戦を交える。
 ゴルフはこの他、ゴールドコーストのHope Island Golf Club、シドニーのThe Lakes Golf Clubの3箇所で楽しんだ。いずれのコースもヨーロッパ風の素晴らしい眺めにわくわくしてスタートをする。
 ハワイ同様きれいな小鳥達が周りをチョコチョコ歩き、コース脇の池にはいろいろな色の蓮や草花が我々を歓迎してくれる。花には目もくれずブッシュに打ち込み鳥の巣に遭遇、巣を襲われたと思った親鳥がプレーヤーの耳脇を嘴で突っつき同僚は思わぬ怪我を。更にプレー中そのホールや次のホールまでも、ズーット追いかけてくる親鳥の執念を感じたハプニングにも会う。
 コースは見た目と大違い。フェアウエーはきれいに整備された平坦なコースだが、左右はブッシュに囲まれ、グリーンは砲台で堅く、波打ったようにうねり、更に周りが低く下がっていてナイスピンそばと思いきや大きく奥にこぼれている始末。
 日本のプロゴルファー達はこのようなグリーンに悩まされているのだろうと思いをはせながら悪戦苦闘をする。OBやワンペナ、6インチリプレースなどが普通の日本のローカルルールもご当地では一切無し。ボールが打てなければアンプレアブルかロストを宣言、ペナルティを払う。慣れない者には厳しいルール。かくしてこれら3コースを口角飛ばしながらのチャレンジであった。スコアーは皆さんのご想像にお任せをして。
 ゴルフ以外は、グレートバリアリーフでのアドベンチャーで珊瑚礁の中をシュノーケリング、魚達と戯れる。ゴールドコーストでは夜、街外れの国立公園(途中の道路脇を山火事が燻っていたが人家が無ければ自然の消火を待つとのこと)各自が懐中電灯で足元を照らしながら暗闇の森を歩き、洞窟の土ホタルを観察。森の木々の間から満天の星や南十字星・天の川を満喫する。昼間のシドニー湾、夜のライトに映し出されたオペラハウスなど等を堪能。
オーストラリアは自分にとって今回が2回目の旅でしたが、又新しい発見をしたオーストラリア東海岸のゴルフツアーでした。

世界最大の回教徒の国インドネシア人のロマン:羽澄 勝
 羽澄さんは、仕事の関係で、インドネシアの各地方(島)に多く足を運ばれ、その先々で特有な文化を紹介していただきました。その中でも特にロンボク島のLingsar寺院について熱く語っていただきました。このLingsar寺院は1714年バリ王朝時代に、バリ人(ヒンズー教)とイスラム教徒が、宗教の融和を願って建立した寺院で、ヒンズー教・イスラム教・キリスト教・仏教・古来原始宗教という世界でも例を見ない5つの宗教を同時に祀る寺院を写真や地図を交えてご説明くださいました。


 また、インドネシアの民族楽器である「ササンド」(メルマガバックナンバーに写真掲載)についても詳しくご説明してくださると共に、その楽器の実物までも持参していただき、参加したメンバーは興奮して話に聞き入りました。もともとは、娘さんの夏休みの課題である「弦楽器のルーツ」を調べに付き添って、浜松市の楽器博物館を訪れたとき偶然目に止まったのが、インドネシア人と共にはるかアフリカ南端に位置するマダガスカル島まで渡ったという「ササンド」という楽器です。


 その後、仕事で現地インドネシア政府の技術者と共に、アタンブアからクパンへ戻る途中(悪路と治安の悪い町を通るといった緊張の連続の中)休憩のために立ち寄ったホテルに何気なく飾ってあったのが、なんと浜松市の楽器博物館で見た「ササンド」だったのです。羽澄さんは、是非この楽器がほしいと現地の人に交渉したところ、翌日5000円で手に入れることが出来たそうです(現地の年収が3万円というから、相当のお値段…)。「ササンド」はイメージでいうと水芭蕉のような形です。ヤシの葉っぱに覆われ(開閉可能)、芯の部分に弦が張られていました。
 この他、「トイレットペーパーで文化の進行が判る」「インドネシアはどこかの国と違って、日本に対し批判めいたことは決してしていない」といった話で盛り上がりました。
羽澄 勝さんの発表の写真などホームページ「熟年共和国」でご覧になれます
URL: http://jukunen.at,infoseek.jp

■再開第1回開催報告

 ・テーマ:「アラスカ紀行 オーロラ篇」伊藤政弘
 ・テーマ:「渡るアメリカに鬼はなし」佐藤昌子
 ・日 時:21日(祝月)午後2時〜5
 ・会 場:関東シニアライフアドバイザー協会目黒事務所
 久しぶりに再会された「海外旅行体験話クラブ」発表ということもあり、まず最初に参加者(9名)による自己紹介が行われました。皆さん海外旅行に数多く出かけられ、貴重な体験をされているようでした。この自己紹介を聞くだけでも大変に面白く、わくわくする時間でした。時間も30分以上になり、あわてて本題に入る状況でした。
最初の発表者は、伊藤政弘さんの「アラスカ紀行 オーロラ篇」でした。
 伊藤さんはアラスカに3ヶ月もの間旅をしたそうです。最初に訪れたのがオーロラが見えることで有名な、チェナホットスプリングスとフェアバンクスでの体験話でした。オーロラの写真を見ながら、色や形の変化を説明すると同時に、カメラ撮影の苦労話(カメラの保護・結露防止)など、失敗談を含めた楽しいお話でした。また、現地の昼間の様子(自然現象や野生動物など)や温泉情報なども発表されました。


次に発表されたのは佐藤昌子さんの「渡るアメリカに鬼はなし」でした。
 佐藤さんは、アメリカの小中学校で日本の文化を紹介する民間親善使節ボランティアに応募し、英語を始め日本の伝統文化(日本舞踊・華道・茶道など)を再度勉強し、ウイスコンシン州の小学校に行き授業をされた体験話です。子どもたちは、「Welcome MRS.SATO」と書いた切抜き文字を廊下の壁面に飾り出迎えてくれたそうです。最初は頭がパニックになることもありましたが、英語をカバーするためのパフォーマンスとして、毎日着物を着てコミュニケーションしていると、はじめ戸惑いがちだった子どもたちも積極的に話しかけてくるようになり、それからは日本の文化を通して多くの感動を受けたそうです。
 また、ステイ先のお嬢さんのジェラシーを取り除いた話やワードロン島での授業(小さい島で12名の生徒)など盛りだくさんの体験話でした。感動の多さという点で、1回の発表だけではちょっと無理があるようでした。最後には、映像や資料を説明してくださり、聞き手側のイメージが更に拡がりました。また、小学校で折り紙を教えた時と同じように、英語で折り紙の折り方をご指導くださり、参加者一同楽しい体験をさせていただきました。
次回の「海外旅行体験話クラブ」は、6月を予定しております。
発表者は、羽澄 勝さんと、丸岡 将泰さんの2名を予定しております。
詳しい日時等は、後日このメルマガでお知らせいたします。どんな体験話が飛び出すか大変楽しみです。皆さんのご参加お待ち申し上げます。

 【参加申し込み先など:コーディネータの伊藤政弘さん ma-itou@bd5.so-net.ne.jp 】

◆2001年7月28日(土)
「水没寸前の三峡下りの旅」発表者:金田和友さん
3泊4日で長江を下る船旅のお話でした。上海から飛行機で重慶に行き、そこから武漢に至る船旅(1279km)です。長江は全長で3000km以上(源流であるチベットを含めると6000km以上)ありますが、その半分を旅する計算になります。現在中国の国家プロジェクトである三峡ダムが建設中ですが、これが完成(2003年予定)すると、かなりの部分が水の底になってしまうことから、その前にということで、旅立たれました。黄色くにごった川の両端には高い山(崖になっている)がそびえ、湿気が多いことから、念願の墨絵の世界を堪能されたそうです。なんでも、長江の支流には、まだ未確認の少数民族や原人が住んでいるとのことです。切り立った崖の頂上付近の窪みには、石棺が置かれているそうです。なんと! 紀元前の石棺で(確認されたらしい)、天に近ければ近いほど天国に行けると信じられていたようです。三峡ダムが完成すると、約130万人が移住するそうです。日本では、移住となると何年もかかりますが、中国ではいたって速やかに移住が行なわれ、国家プロジェクトを推進するスケールの大きさと早さに、中国のパワーを感じずにはいられなかったとの感想でした。ダムが完成すると、貯水量は琵琶湖の2倍になるとのことです。このほか、重慶では、川の水位が20メートルも変わる話、支流の貧しい民族では、人が亡くなるとお祝いをし(それだけ貧しいということ)、結婚式では悲しむような行事(悲しむ訓練をするらしい)がある話、武漢は、古き良き中国を見ることができ大変にお奨めであること、上海では7〜8年前、自転車がやぶ蚊のように走っていたが、今は少ないという話、警察の制服の色が変わり(緑から青に)交通違反が増えた話(警察に見えないため)、上海の家は、ウサギ小屋ならぬハト小屋であるという話、重慶に住む人の一般的な給料は1.3万円・マンションを購入すると400万円くらいだという話、など写真や資料を交えての楽しい会になりました。

◆2001年5月27日(日)
「環太平洋一周の旅」発表者:木下勝弘さん
36年前に、オーストラリア・ニュージーランド・ハワイ・アメリカ本土(アラスカ含む)を、約40日間かけて旅した体験記。当時は、まだ海外旅行などは、ほんの一部の人ぐらいしか行かない時代。当時1ヶ月分の給与を3日間で使ってしまうような海外出張に出かけられました。地震に関する学会に参加するついでの色々なエピソードが満載でした!

ビデオ発表「アラスカ鉄道の旅」発表者:伊藤政弘さん
アラスカ鉄道の、冬期と夏期の違いなどを発表! 冬は、見せ場(深い谷)で、わざわざ列車を止めて(鉄橋の上に止まり荷物室に移動。そしてガラガラと扉を開けて見せてくれるサービスぶり。ちょっと怖かった!)見学させてくれたのにはびっくり! 夏時間になると、こんなサービスはなくなるが、その分豪華列車ぶりにびっくり! 全て2階建ての列車で、上はリラックスできる座席(展望車両)、そしてバーが備わっている。下は全てが食堂車、上の乗客を順次食堂車に案内できるようになっている。日本の列車とは大違い! 満足! 満足!

◆2001年3月25日(日):
「海外体験の話しあれこれ」発表者:梅沢厚子さん
お話に入る前に、先ず地図おたくぶりを発揮され、世界の多くの地図を拝見させていただきました! その中でも特に面白いコレクションが、オーストラリアのダウンアンダーという方式の地図です。オーストラリアを中心に北と南が逆さまになっている地図で、別の地球を見ているようでした。また、北欧の地図は北極を中心に上から見た地図で、これもまた面白い地図でした!!!
梅沢さんは、日本の文化を伝える団体に同行して(訪問先はヨーロッパ)「少林寺拳法」を通して(梅沢さんは4段の腕前)海外を見るといったユニークな発表でした。少林寺拳法のマークは卍(まんじ)ですが、ヨーロッパではナチスのマークに似ていることから(実際のマークは向きが逆ですが…)、マーク入りの荷物を送ると、全て税関で引っかかってしまい、荷物が届かないそうです。また、少林寺の胴着も、心情を配慮して、違うマークのものをつけるのだそうです! このほか、イギリスの学校の制服は、貧富の差をなくすために導入されたという話や、トルコでは小遣い稼ぎに、子どもが体重計をもって近寄ってくる(一般の家庭には体重計がない)話しや、オリエント急行は国境を通るたびに申請のために大混乱する(最近の政情不安で、大変厳しくもあり危険でもある!)という話など、大変興味深い話しが満載でした!

ビデオ発表「ヘラジカに睨まれたの巻き」発表者:伊藤政弘
鹿の種類で最も大型のヘラジカ(ムース)は、雄が体重700kgにもなる大型の動物です。草食動物ですが、ある程度の距離をおかないで近づくと攻撃されることもある、危険な動物です。伊藤さんは、その距離ギリギリでビデオを回し、人間を睨みつける怖〜いお顔をビデオに納め、それを披露していただきました。

◆2001年1月28日(日):
マウントバーノンを訪ねて(アメリカ初代大統領ジョージワシントンのふるさとです)発表者:林佳次郎さん
アメリカ初代大統領ジョージワシントンは、アメリカ人が最も愛し、最も尊敬する人物です。マウントバーノンは、ワシントンから車で二時間くらいのところにある農園でワシントンと妻マーサが住んでいたところです。マウントバーノンは広大な農園の中にあり、ワシントンの一家、召使たちや奴隷が共同生活を営んだところで、数十の建物が当時のまま保存されているそうです。約200年前に苦労してアメリカを独立に導いたジョージワシントンの一生に思いをはせ、大きな感動にひたった体験話でした。現地で購入したスライドと、地図を見ながらの体験話しに、まるで現地に行ったような気持ちになりました。多くの部屋の紹介があり、特に感動的でした! (ジョージワシントンが亡くなった部屋や、ベットのすぐ近くまで行って見れる。大食堂や家族の食堂、召使の部屋、奴隷の部屋、燻製室、調理室、氷貯蔵庫など。また、邸宅の部屋の壁が、水色カラーに統一されていて印象的)
ゴールデントライアングルの旅(ミャンマー・ラオス・タイ国境の旅)発表者:金田和友
タイのチェンマイとゴールデントライアングル(タイ・ミャンマー・ラオスの三国に挟まれたメコン川の中州)での体験話でした。
チェンマイは日本で言う京都・奈良にあたります。タイの寺院は大変きらびやかで、日本の寺院とは全くイメージが違います。また、国は貧しいながらも物資が豊かな国とのこと。隣のラオスやミャンマーは、それ以上に貧しい。観光旅行の客を見つけると、子供達が擦り寄ってきて、ポケットなどを触ってくるとのことです(特に国境付近)。庶民の生活を支える物資は、メコン川の上流、つまり中国雲南省からやってくるようでした。タイは、年中30度を越す温度と高い湿度で、大変に蒸すそうです。またタイは、小乗仏教の国で、男は全員僧侶の経験を持つそうです。そんな国だからでしょうか… トイレはトイレットペーパーを使わないで左手で洗うそうです。ホテルでは、その左手も洗う流しのようなものまであるとのこと! 特に印象に強かったのは、おみやげを買ってあげて子供の頭をなでてしまった時だそうです。子供の頭をなでると精気がなくなる(左手)といって、大変に嫌うそうです! この他にもたくさんの話しで盛り上がりました.

◆2000年11月25日(土):
「アルゼンチンのタンゴにふれる旅」発表者:丸岡将泰さん
タンゴの「ライブショウ」を中心にした発表がありました! 狭い店内に、数十人が肩を寄せ合い、話し声には各国語が入り乱れている。そんな雰囲気のなか、これまた狭いステージで音楽とダンスが始まる… バンドネオンを中心にした、素晴らしいタンゴの魅力を語っていただきました。現在バンドネオン(アコーディオンの小さいものに似ている)は、世界のどの国でも製作されておらず、今後に問題を抱えている話や(ドイツで製作が可能になるという話も…)、アルゼンチンタンゴ(男が女にふられる歌が多い)とコンチネンタルタンゴの違いについてなど、話は大変盛り上がりました。
「グループで行く海外旅行と一味違う私のロンドン滞在あれこれ」発表者:小林裕子さん
小林さんの娘さんが英国の男性と結婚され、その結婚式を始めとする、イギリスならではの楽しいお話をしていただきました。
集会場のようなところで、簡単な書類と挨拶で終わってしまう、非常にシンプルな結婚式の体験談や、いやがらせで、なかなか結婚に必要な書類が出来ない話(外国人[ここでは日本人]と結婚することに対して)。
このほか、地下鉄に乗る時も降りる時も人がいない話(ポスターだけは大きく貼ってあり「運賃を払って乗ってください!」と告知している)、大学の校舎内に創設者のミイラが保存されている話など、海外旅行のツアーでは絶対に味わえない楽しい話が盛りだくさんでした。
「ハワイ発・スカイダイビング!」
発表者:伊藤政弘さん

高度4,000メートルからスカイダイビングの体験談です。本人は高所恐怖症といっておりましたが、4,000メートルにもなると怖くなくなる話(むしろ10階建てのビルから下を見たほうが怖いとのこと)、落ちる時の「ゴー」という音が忘れられないという話(なんでも時速200キロで落ちていくそうです)、中年太りのせいで、脂肪部分が風圧で大きく波打ち、ビデオを見て少々恥ずかしかった話(本人からのアドバイス=スカイダイビングをする時は是非ダイエットをしてからやるようにとのこと!)など、大変笑える話が多かったです!

◆2000年9月30日(土):
「短〜い語学留学イン・ロンドン+パリ一人旅」
発表者:鈴木優子さん
1ヶ月の語学留学で体験したお話でした! 語学留学に参加した学生さんとの学校生活(国も年齢も千差万別)・日本の英語教育の問題点・無印ホテル宿泊の突撃レポートもありました。また、地下鉄のあまりに汚い現状と、呆れるほど時間に無頓着な点、更にはおいしかったものや、まずかったものなどの楽しい報告がありました。
「海外出張で感じたこと」発表者:奈良原眞吉さん
1972年大型客船にて海外に出てから、海外に強い憧れを抱きつづけ、海外出張など現在までに13ヶ国30回以上にわたる海外旅行体験話でした。多くの写真を拝見させていただきながら、各国での仕事上のエピソードや「情」(日本人は情に弱い)の話が、とても楽しかったです! 
ちなみに行かれた国は次の通り(ホンの一部)。ルーマニア・インドネシア・ハンガリー・ソ連・スペイン・アメリカ・カナダ・韓国ほか


◆2000年7月20日(海の日):
伊藤政弘さんによる、「アラスカの自然」(主に野生動物)の報告がありました。
現地で撮影されたビデオを中心に、楽しい会話ができました。ブラックベアーとグリズリーの性格の違いや、血液をマイナス2度に保って冬眠する地リスの話、また、氷河のスケールの大きさ・オーロラの発生についても説明されました。まだまだ、話したいことの何分の一かのようなので、後日また発表があるかもしれません。